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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2019年9月8日  年間第23主日 C年 (緑)
自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない(ルカ14・27より)

十字架を担うキリスト   
フレスコ画 ジャコモ・ヤクエリオ作
イタリア ランヴェルソ サンタントニオ修道院 1450年頃

 ジャコモ・ヤクエリオ(1375頃~1453)は、イタリアの画家。サヴォイア家などに仕えた宮廷画家で、ピエモンテ地方の後期ゴシック絵画を代表する人物とされる。ランヴェルソのサンタントニオ修道院には『玉座の聖母子』『預言者』『聖アントニウスの生涯』などの作品があるほか、祭具室の壁にこの『十字架を担うキリスト』が掲げられている。
キリスト教美術の歴史の中で、十字架を担うキリストの図については、興味深い傾向の変化が見られる。古代から中世初期までの芸術では、ほとんどマタイ(27・32)とマルコ(15・21)にある、キレネ人シモンがイエスの十字架を背負わされたというエピソードに対応していた。イエス自身が十字架を担う作品もないことはなかったが少なく、それが、メインとなっていくのは12、13世紀以降である。明らかにイエスの苦しみを共に感じるというコンパッション(共感共苦)の信仰心が強まっていくことと比例しているといえる。またこの絵のように、周りに兵士だけでなく、群衆が描き込まれるのも特にイタリアの絵画の特徴だったという。聖職者、修道者だけでなく民衆が信仰心の発展の担い手となった時代を反映するものだろう。
 ジャコモ・ヤクエリオのこの作品も、十字架のイエスを囲む人々の姿が生き生きと描かれている。この兵士たちや民衆は、15世紀半ば当時の兵士や民衆を写したものであろう。顔の向きもさまざま、表情もさまざま(しかも、どちらかというとグロテスクな描き方)、兵士たちの持つ槍や旗印などの数の多さも目立つ。全体として、赤、白、緑、黄色など彩り豊かであること、立体感を感じさせる光景描写など、全体として、ドラマティックな雰囲気、映画的な想像力を感じさせる。戦争状態のような騒ぎと混乱を感じさせるところが、イエスの十字架の道行に対する思いを刺激する。
 さて、この十字架を担うキリストの図は、きょうの福音朗読箇所ルカ14章25-33節に関連させて選ばれている。いうまでもなく「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない」(ルカ14・27)が鍵である。ここでの「十字架」が何を意味しているのか。それぞれの人生の使命(ミッション)から必然化する苦難を意味する隠喩なのだろうと想定しても、それが実際何であるかはわからない。むしろ、イエスは、“あなたにとっての十字架が何であるかを考えてみよ、そしてそれを背負って、わたし(イエス)について来い”と問いかけているのではなかろうか。
 だとしても、十字架をそのような意味のあるものにしたのは、イエス自身のはずである。単なる処刑用具ではなく、それを自ら運ぶということに、大きな意味が込められていたに違いない。とするなら、イエスの歩んだ道における十字架の意味を黙想することが求められる。中世盛期からのこの画題への関心は、まさしくイエスの歩みを自分のものとして、自分の歩みにとっての模範・前例としてみなす観点を強めていったに違いない。そして、人々は、このような絵を眺めながら、イエスの十字架の意味、そして、自分が背負う十字架に思いを馳せていったに違いない。
 それは、神のみ旨に対する問いかけにほかならない。そして、その際の人の思いは、きょうの第1朗読箇所にあたる知恵の書(9・13-18)の箇所(ソロモンの祈りとされる)が代弁しているかのようである。「神の計画を知りうる者がいるでしょうか。主の御旨を悟りうる者がいるでしょうか」(13節)。神の計らいの前に圧倒的な無力さを思わざるをえないわれわれ人間、それを知るための力さえも、神から待たなくてはならない。「あなたが知恵をお与えにならなかったなら、天の高みから聖なる霊を遣わされなかったなら、だれが御旨を知ることができたでしょうか」(17節)。このような問いかけでもあり嘆願でもあるような祈りはもちろん神に届いたと、新約の民であるわれわれは知っている。御子キリストが来られたこと、聖霊が与えられていることのうちにまさしく神からの答えがある。へりくだってキリストに従うことがそれである。生きることそのものが恵みとなる。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

 山口鹿三――近代日本を駆け抜けた文書伝道士
 山口鹿三は、明治から昭和にかけて、キリスト教の、とりわけカトリックにとって苦難の時代を超然と生き抜いた伝道士である。彼は日本におけるカトリック先駆者の一人であり、生涯をかけて学究と文書伝道に心血を注いだ信仰の人であった。生活は質素で、およそ名誉や権力、贅沢というものから懸け離れていたが、それはひとえに、献身を貫いたかたくなまでの生き方のためである。
太田淑子 編『日本、キリスト教との邂逅―二つの時代に見る受容と葛藤』「山田鹿三――近代日本を駆け抜けた文書伝道士」本文より


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