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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2019年10月6日  年間第27主日 C年 (緑)
神に従う人は信仰によって生きる(第1朗読主題句 ハバクク2・4より)

神の手と預言者ハバクク  
ギリシア語聖書写本挿絵  
パリ国立図書館 5世紀

 第1朗読(ハバクク1・2-3、2・2-4)にちなみ、預言者ハバククを描く挿絵を表紙に掲げた。現在のミサの聖書朗読で、ハバクク書が主日に読まれるのはきょうだけである。全3章という短い預言書で、ハバククという名のこの預言者について知られていることはほとんどない。広く支持されている学説では、紀元前600 年頃、ユダ王国の末期に活躍した預言者であるという。朗読箇所のちょうど中間にあたる1章5-17節によると、国内では不正が横行し、カルデア人からの圧迫が及ぶ危機の状況にあった。実際に紀元前598年にはエルサレムが攻撃されている。そのような状況の中で、神の正義を問い求める預言者の叫びは切実である。朗読箇所の1章2-3節がそれを端的に示す(『新共同訳旧約聖書注解・続編注解』日本基督教団出版局、1993、137-141ページ参照)。
 それに対する主の答え(ハバクク2・2-4)は、神による救い、解放が必ず来ることを告げる。「遅くなっても、待っておれ」が、契約の民に対する神自身の忠実さへの信頼を呼びかけることばである。ここにおける主のことばの中心は4節である。「見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる」(4節)。「信仰によって生きる」とは、神への揺るぎない信頼と忠実さ、神の忠実さにゆだねる民の全幅の信頼を意味している。このことばはもっともな教えのようだが、朗読箇所冒頭のハバククの叫び、「主よ、わたしが助けを求めて叫んでいるのにいつまで、あなたは聞いてくださらないのか……」(ハバクク1・2)という嘆きに対して、強い戒めをも含んでいるようである。
 ちなみに、パウロは、この2章4節のことばを念頭に置いて、ローマ書1章17節で次のように語っている。「福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。『正しい者は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです」と。やや抽象的な教えのようでいて、ここで語られる「信仰」が、ハバククを参照するなら、絶望的な状況にあっても神を信じ、その力に寄り頼み続けることであるというニュアンスを含めて読み取ることができる。
 さて、この挿絵は、神と対話をしている預言者ハバククの姿と、神のことばやその働きかけを示す大きな「右手」の対照関係が鮮やかである。神を右手で表現する絵画伝統があることは、たびたび触れているが、それには、「右の御手、聖なる御腕によって、主は救いの御業を果たされた」(詩編98・1)という旧約的な神観を想起すればよいだろう。そして、神の栄光を示す(と同時に隠す)「雲」の描写、そして光の放射も大きく描かれている。これらは主の変容のイコンにもよく描かれる伝統形式である。それが、ハバククの真ん前にあるというところがこの絵のユニークなところである。それだけ、預言者と神との対話、いわば「心の向き合い」がよく描かれているといえるだろう。
ハバククは、「幻を書き記せ」(ハバクク2・2)と命じられている。幻の中で示される神の啓示を伝える使命が与えられているのである。ハバククの時代に神の民が受けた国際的危機は、同時に民の信仰の危機でもあった。その中に派遣されるハバククの姿と、彼に託されている、神への揺るぎない信頼を呼びかけるメッセージは、ローマ帝国の支配がユダヤ社会の信仰の有り様を揺るがせていた時代におけるイエスの登場と、神の国の宣教を予示するものでもある。そのメッセージがイエスにおいて徹底したものとなっていく過程が、きょうの第1朗読と福音朗読の関係の中からも示されるであろう。福音朗読箇所(ルカ17・5-10)では、「信仰を増してください」(17・5)と求める弟子たちに、「からし種一粒ほどの信仰があれば……」(17・6)と答えるイエスのことばには、弟子たちの無意識の高慢さの指摘と真の信仰への呼びかけが示されている。ハバクク2章4節の「見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる」というメッセージが、ここでも響いている。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

6 「神も仏もあるものか」と言われ続けながら
現代人の多くは、自らを「無宗教」と自認している一方、家族・地域・会社といった従来から存在する「縁」の希薄化に伴い、社会的に「孤立」している人が増えている。従って、家族がいても機能していないケースが、被災地を回る中でしばしば見られた。「縁」を紡ぎなおす役割として宗教者が媒体となり、壊れてしまった人と人との「縁」を再構築する役割を担う事が、これからの宗教者の役割ではないかと私は考えている。
清水正之・鶴岡賀雄・桑原直己・釘宮明美 編『生きる意味―キリスト教への問いかけ』「第1章 東日本大震災と宗教」本文より


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