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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2016年1月3日  主の公現  (白)
わたしたちは東方から王を拝みに来た(福音朗読主題句 マタイ2・2より)


三博士の礼拝
  ステンド・グラス ドイツ
  コブレンツ 聖フローリン教会 14世紀

   

 円形の空間の中に、聖母子と東方から来た三人の博士たち(美術伝統では三王となる)の出会いの場面がぎっしりと詰め込まれている。まず、見ていて何となくリズムが感じられないだろうか。三人の博士(王)たちの姿勢は三人三様。前の男は片膝をついて幼子イエスに贈り物をささげている。後方の男は、天のほうを指さしている様子。左端の男は、全体の光景を思慮深く見つめている。福音書の中の原語マギ(占星術の学者たち)は、やがて「王」と解釈され、しかも三つの贈り物にちなんで三人の王として、さらに、三人がそれぞれ老壮青の三世代を象徴するものと想像され、そのように描かれるようになる。その伝統に関連づけるなら、手前でひざまずいている男が老年の王、後ろの男が壮年、左端が青年の王だろうか。いずれにしても、三人が織りなす空間はこのように姿勢も向きも視線の方向もさまざまで躍動感にあふれている。
 それに対して、右半分の空間に描かれる聖母子は、まっすぐ横からの動きが軸としてあり、深い安定感を保っている。母マリアの姿が割合的に大きいのが目につく。あたかも救い主である幼子イエスの玉座であるかのようである。幼子(といってもすでに髪が長く少年の姿だが)イエスはまっすぐ、実に凛々しく、三人のほうに顔を向けている。
 この作品には、もう一つ特徴的な描写がある。イエスが両手で鳩を前に差し出していることである。聖霊の象徴である。この聖霊の描写はどのような意味をもっているのだろうか。ここで、主の公現の聖書朗読(ABC年共通)を味わってみよう。第1朗読のイザヤ60章1−6節ではエルサレムの上に輝く光や主の栄光が言及される。「国々はあなたを照らす光に向かい……みな集い、あなたのもとに来(きた)る」(イザヤ60・3-4 節参照)。ここで「あなた」と呼ばれているエルサレムが福音におけるイエスの前表(予型)を意味する。
 福音朗読のマタイ2章1−12節では、光や主の栄光の役割を果たしているのが「星」である。「星」がイエスのいる方角を示し、占星術の学者たちに「先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった」(マタイ2・9)のである。このように、主の存在を示し、人々を導く働きを我々、教会の中で現在も果たしているのが聖霊であろう。幼子の上に星がとどまり、この幼子のうちにある神の現存を示したことに対応する表現が、この図では、幼子自身が聖霊の象徴(鳩)を人々に示すという形で表現されているのではなかろうか。
 このように、御子と聖霊が描かれているとすれば、御父のこともこの図のうちに考えてよいだろう。それが、この円形の空間の背景をなす濃紺の地にこめられているように感じられてくる。円は完全性の象徴でもあるからである。すべては御父の計画のうちに起こっている。異邦人と救い主である御子との出会いはまさにそうである。ひざまずく博士(王)の献げ物と鳩とが触れ合いそうな部分に、この出会いの感動の中心がある。人々が待ち望んできた救いの実現の瞬間がもたらす喜びの音がここから響きわたりそうである。

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