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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2016年1月10日  主の洗礼 C年 (白)
イエスが洗礼を受けて祈っておられると、天が開けた (福音朗読主題句 ルカ3・21より)


イエスの洗礼
  手彩色紙版画
  アルベルト・カルペンティール(ドミニコ会 日本)
 
   

 イエスの洗礼を描くカルペンティール師の作品である。きょうの福音朗読箇所ルカ3章15-16 節および21-22 節の中の後半部分21-22 節にあたる。「イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた」。この叙述の要素一つひとつが丁寧にはっきりと描かれている。まずイエスとその上に降る鳩の姿の聖霊、そして、御父の声を表現する天から突き出た右手(古典的な神の形象)である。ここに父と子と聖霊が鮮やかに表されている。福音書の叙述自体が意図している大変重要なあかしである。
 イエスの洗礼は、洗礼者ヨハネが告げ知らせたような悔い改め、罪の赦しの洗礼という意味合いをはるかに超えて、イエスが、御父である神が愛しておられる御子であることが啓示される出来事なのである。そのことが聖霊の降下によっても示されており、ここに、父・子・聖霊である神がはっきりと現れている。
 もちろん、この出来事の機会となっているのが洗礼者ヨハネによるヨルダン川での洗礼であることを忘れてはならない。この絵でも、父・子・聖霊の関わりは、ヨルダン川という舞台背景の上で、そして洗礼者ヨハネの活動する姿を通じて実現していることがはっきりと描かれている。右側に大きく描かれている洗礼者ヨハネの描写はやはり重要なのである。
 洗礼を授けるしぐさをしているような洗礼者ヨハネの姿は、よく見るとあくまでイエスの姿を前に押し出しているように見える。福音朗読箇所の前半で、「わたしよりも優れた方が来られる」(ルカ3・16)と告げているときのヨハネの心を彷彿とさせる。それでも、この絵の中のヨハネは、しっかりと自分の使命を遂行している姿でもある。彼自身の存在と活動そのものも神の計画のうちにあるのである。
 とはいえ、なんといってもイエスの姿と表情がひときわ目を引く。その目はどこか遠くを見つめているようでもある。神の御子、救い主としての使命、あるいは、その受難に向かう生涯の行く先をも見つめ、それに対する厳粛な覚悟をも示しているようである。
 たしかに、イエスのこれからの歩みは、洗礼者ヨハネの言葉によって「聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」(ルカ3・16)と予告されている。ここでの「洗礼」とは儀礼的な意味ではなく、むしろ、人々に対して、神に対する態度決定を迫るような試練という意味で言われているのである。
 胸のところで手を交差させているイエスの姿勢は、まずは「祈っておられると」に対応する表現と思われるが、その手はかなり大きく、輪郭も太く強い。聖霊の降下、御父の声、それぞれの意味を深く受けとめる姿勢であるとともに、十字架への道も暗示されているのではないか……とも感じられてくる。

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