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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2016年5月22日  三位一体の主日 C年 (白)
大地に先立って、知恵は生み出されていた  (第一朗読主題句 箴言8・23−24より)


天体の創造
  モザイク
  イタリア モンレアーレ大聖堂 12世紀

   

 三位一体の主日(C年)の第一朗読である箴言の朗読箇所、神の創造に先立つ知恵の創造を述べる箇所の黙想の資料として、神の天地創造のみ業(わざ)を描く図を掲げる。
 モンレアーレとはイタリア南部シチリア島にある大司教区で、1174年から1186年にかけて大司教座聖堂が建設され、豊かなモザイクで飾られ、西方芸術とビザンティン芸術の伝統が融合した独特の世界が開かれている。ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂のモザイクとも通じるものがある。この場面は、内陣に向かって右側の上の壁面を飾るものの一つである。実は、この絵は金色の光彩を背景にしたものだが、画像部分のみを抜き取って、黒の背景の上に載せて加工されたものであることを断っておく。
 ここは、創世記1章から2章4節までの天地創造の叙述から、第1日=光と闇(昼と夜)の創造、第2日=大空(天)と大空の下と上の水の創造を前提とした第4日=昼を治めるより大きな光る物と夜を治めるより小さな光る物、すなわち太陽と月の創造を描くものである。(植物の創造がある第3日の反映はない。)
 聖書の朗読箇所に対応させて考えるなら、ここでは、創造されたものよりも、創造をしている神のイメージが重要になる。箴言によれば、神の知恵の擬人化表現ということになる。もちろんこの知恵は、ヨハネ福音書1章における、初めに神とともにあった言(ことば)の思想に発展するものであり、この言(ことば)こそ御子キリスト、であるというのが新約的な理解である。この図を見て、左の人物を御父と考える人もいるかもしれないが、普通には主キリストを思うであろう。すでにこの人物像のうちに、御父と御子キリストが一体になって描かれていると考えることもできる。「天地の創造主、全能の父である神」とは使徒信条の冒頭で宣言することだが、同時に、コロサイ書では「万物は御子によって、御子のために造られました。御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています」(コロサイ1・16−17)、ヨハネ福音書では、「万物は言(ことば)によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」(ヨハネ1・3)と説き明かされる。万物が神の言(ことば)である御子によって造られた、あるいは成った、という教えが、三位一体という教理で語られる神のみわざである。それらを踏まえて考えても、この絵の左の人物像は、御父の姿でもあると同時に御子キリストの姿でもある。きょうの福音朗読箇所の中の「父が持っておられるものはすべて、わたしのものである」(ヨハネ16・15)という箇所、そして、「父のいつくしみのみ顔であるイエス・キリスト」という「いつくしみの特別聖年」のテーマが思い起こされる。
 この一致に関連して、さらに聖霊のことも考えなくてはならない。世界を描く空間にみなぎる力をこの作品の構図からも考えてもよいだろう。世界は、幾層にも彩られている大きな円で象徴され、そこの中の太陽に手を伸ばす神(御父でもあり、御子キリストでもある)の右手から創造の力が明らかに及ぼされている。そこに働くものこそ聖霊である。父と子と聖霊という三位の神の一致と協働により、その創造のみ業(わざ)は展開し、生き物の創造、人間の創造に至る。その創造は同時に美の誕生でもある。天体の創造の場面を描くこの図においても、それぞれの幾重にも彩られ、また大小と重なったり、並んだりしている円形の配置が美しく、リズミカルである。神の創造のたまものの美しさにも自然に我々の目が向かい、それらを愛でる気持ちへと誘う。三位一体の神の働きの美しさと、そこにみなぎる愛に思いを向け続けたい。

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