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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2016年8月28日  年間第22主日 C年 (緑)
宴会を催すときには、むしろ、貧しい人を招きなさい(ルカ14・13より)


神の国の宴への招き
  挿絵  『ハインリッヒ3世朗読福音書』 
  ドイツ ブレーメン国立大学図書館 11世紀半ば
   

 きょうの福音朗読ルカ14章1、7−14節とそれに続く15−24節にちなむもので、直接には、15−24節を踏まえた絵である。モチーフとしては、きょうの朗読箇所の14章13節にある「貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい」を受けていることは明らかである。これらの人々を招くようにとの主人の命令は、21節でも繰り返される。
 ここでの宴会、(16節では「盛大な宴会」)に譬えられているのは、もちろん、神の国であり、神の国での食事ということで、まさしく、神の国が共同体としてはどのような質のものであるかを教えているところである。14節では、それらの人々を招くことの意味は、「その人たちはお返しができない」ということに理由づけられていて、そのように招く「あなたは幸いだ」とさえ言われる。ここでは、神の国という共同体は、ごちそうしたり、それをお返ししたりするという人間の間の交わりの次元とは異なっていること、神の招きにあずかることであり、それが神の幸いを受けることになるのだという教えである。
 挿絵は、神の国の宴会が求め、招いている人々、姿が具象化されている。上の食卓の場面、下の斜めの波形の区分線の上下と、合計三つの場面で描かれているが、これは、地上からだんだんと神の国の食卓へ上げられていくさまを示している。この下から上への動線は、そのままに、「へりくだる者は高められる」(ルカ14・11)を表現しているといえるだろう。
 注目すべきは、ここのルカ14章には、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人が言及されているに、挿絵では、重い皮膚病を患っているらしい人も描かれている。ここで思い起こされるのは、「貧しい人」が言及されるルカ福音書の他の箇所である。ルカ7章22−23節で、イエスが洗礼者ヨハネの弟子たちに伝えるようにと言った言葉である。「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」(22節)。ここでの言葉さえも連想して、この神の国の宴会に招かれている人を描いていることには、まさしく神の国と、イエスの福音の到来とが重なっているという理解を反映している。その精神は、もちろん「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである」(ルカ6・20)との言葉とまっすぐに結びついている。
 神の国の福音がすべての人、特に、神のみ前にへりくだる者、神にのみより頼む者たちのもとにまっさきに訪れている、そこに神のみ旨があるというメッセージが、こうしてさまざまな形で告げ知らされている。挿絵の下の人々、地上で伏している重い病の人と、歩行用の補助具を頼りに歩んでいく人の歩みは、どれほどの困難の多いものだろうか。この絵の表現からも伝わってくる。しかし、この人々には、わざと苦労が投げかけられているわけではない。それは、この挿絵が一人ひとりにはっきりと目を開いて前に上にと進んでいく姿と表情を与えていることからも感じられる。
 「主は、へりくだる人によってあがめられる」(第1朗読、シラ3・20)とすれば、この絵の中で主題となっているのは、食卓と屋根と柱で象徴されているような神の国、神そのものの恵みであろう。そこで、「神に従う人は喜びおどり、神の前で喜び楽しむ」(答唱詩編 詩編68・4)のである。
 ミサに招かれる我々も、何らかの困難や病から救い出され、神のみもとに呼び集められているものである。「神の小羊の食卓に招かれた者は幸い」という拝領前に司式司祭が告げる言葉はこの神の国の宴会の譬えと直結している。ここに人々を招く神の働きかけは今も我々に対する招きや派遣を通して、たえず進められている。

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