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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2016年9月25日  年間第26主日 C年 (緑)
神は、定められた時にキリストを現してくださいます(一テモテ6・15より)


主であるイエス・キリスト
  フレスコ画
  カリストのカタコンベ 5世紀
   

 表紙は、5世紀のカタコンベの壁画(フレスコ画)の中のキリスト像。後のイコンのキリスト像と同様の形象をもっている。祝福を示す右手のしぐさ(その掌は全面的にこちらを向いている)と左手に抱える書物(神のことばの表象)である。ただキリストの顔は後年のもののような髭を伴っておらず、全体として、若く、聖母マリアかと見間違えそうなほど女性的な面持ちでもある。頭の後ろの十字架が刻まれた光輪が輝かしく、また輝いているようである。古いものであるだけに、剥落も多く、それが、全体として陰影の中にあるキリストの姿の雰囲気を醸し出す。これらの特色が、きょうの第2朗読の一テモテ書(6・13−16)の中の次の一節と響き合うようである。「神は、定められた時にキリストを現してくださいます。神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です」(15−16節より)。神は確かに見ることができない方だろう。そのみ顔を現されたのが、イエス・キリストである。祝福に満ちた方、不死の方である神を現したキリストを描くことは、地下墓所であるカタコンベにおいて、死者の魂を祝福をもって迎え、永遠の命へと導いてくれることを祈願する意味で描き添えられたのであろう。
 このキリスト像のうちに、さらに、きょうの福音朗読(ルカ16・19−31)と第1朗読(アモス6・1a, 4-7)、さらに答唱詩編の内容を合わせて、富に安住し、安逸をむさぼるもの、貧しい人々にいつくしみある配慮を示さなかった者が厳しく非難され、神のみ旨は、いつも、貧しい人、飢え渇く人、捕らわれ人、さまざまな不自由にある人、身寄りのない人に向けられていること、これらの正義と愛をもたらされることが教えられる。人は、神がいつくしみ深い方であるように、自らも人々に対していつくしみ深さを示すようにというメッセージである。
 このメッセージこそ、今年(2015年12月8日から2016年11月20日まで)を「いつくしみの特別聖年」とされた教皇フランシスコ自身が現代のカトリック信者全員に思い起こさせようとしているものでもある。ルカ福音書のどの箇所も、このメッセージと関係しており、きょうのミサの聖書朗読は特にそうだといえるだろう。そこで表紙のキリスト像を眺めながら、教皇の特別聖年公布の大勅書(どの箇所も重要な内容ばかりだが)の次の一節を味わってみたい。
 「イエスとそのいつくしみのみ顔にまなざしを向けると、わたしたちは三位一体の神の愛をつかむことができます。イエスが御父から受けた使命は、神の愛の神秘を完全に明らかにするということでした。『神は愛』(一ヨハネ4・8、16)だと、福音記者ヨハネは聖書の中で初めて、かつそこでだけ断言しています。この愛はようやく、イエスの全生涯において見えるもの、触れることのできるものとなりました。イエスというかたは愛以外の何ものでもなく、その愛はご自分を無償でお与えになるものです。イエスと彼に近づく人との関係は、一つとして同じもののない、それぞれに固有な面です。イエスが実現させるしるし、なかでも罪人や貧しい人、疎外された人、病人、苦しむ人に向けられたしるしは、いつくしみのゆえのものです。イエスにおいては、すべてがいつくしみを語っています。イエスがあわれみを覚えられないことなどないのです。」(8項)
 神のいつくしみと愛を現された方イエス・キリストの到来は、確かな希望の根拠となって、キリストに従う人々を支えている。「神の人」と第2朗読の一テモテ書が呼ぶキリスト者は、「正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和」を追い求め、信仰の戦いを戦い抜くようにと呼びかけられている。世界を生きるキリスト者のこの信仰の戦いの道は、定められた時のキリストの再臨を待ち望むことによって支えられ、また導かれる。神の現れであるキリストの画像を仰ぐことは、将来への再臨を待ち望むことへの招きでもある。
 典礼暦は年間の聖書朗読も終わりに向かい、だんだんと終末の来臨をテーマとするイエスの教えに移り変わっていく。

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