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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2016年10月30日  年間第31主日 C年 (緑)
イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った(ルカ19・4より)


ザアカイ
  ライヘナウの朗読聖書挿絵
  ドイツ ヴォルフェビュッテル
  アウグスト公図書館 10世紀
   

 表紙は、きょうの福音朗読(ルカ19・1−10)のエピソードにちなんで、いちじく桑の木に登るザアカイ(ルカ19・4参照)を描くもの。おそらく、朗読本文の初めにある(日本の朗読聖書で)「そのとき」にあたるラテン語のイン・イロ・テンポレ (In illo tempore)の頭文字Iを絵にした、いわゆる「頭文字装飾」を兼ねた絵と考えられる。
 絵は、エピソードを想起させる最小限の要素で描くのみである。木はすでに「I」を表現するためにかなり文様化している。ザアカイの登る様子は、両手や両足の動きも含め、なかなか細かく描かれている。彼の目はあくまで真剣である。この登る動作が神に近づこう、キリストに近づこうとしている一途な気持ちをよく感じさせる。信仰宣言という軸を中心線においてはっきりと描き出しているのである。背景全面の紫色に意味がこめられているとするなら、おそらく神の国の神秘を暗示しているものと考えられる。
 このエピソードは、ルカだけが伝えるものだが、内容も、ザアカイという名前をはっきり心に残るほど面白いものになっている。ザアカイは徴税人であり、ユダヤ社会では忌み嫌われていた者の一人である。この人が、「背が低かった」(19・3)という大変卑近な理由から、彼は、「イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った」(19・4)。この行動力は鮮やかで、機敏さが感じられる。「徴税人の頭で、金持ちであった」という簡単な紹介文(19・2)の中にも、この男の賢さが背景にあるだろうと思わせられる。
 さて、彼の行動はイエスに見えたのか、あるいはイエスは、彼の意気込みを気配で感じたのか。いずれにしても、彼が木に登った場所に来たとき、イエスは、上を見上げて「ザアカイ、急いで降りて来なさい」と呼びかける。まさしく召命の言葉である。続く、「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」という(19・5)言葉は、直訳すると、「今日は、是が非でもあなたの家に泊まらなくてはならない」という意味のようであり(脚注参照)、神の計画に従うことであることを示している。ザアカイは、このイエスの招きが意味するものをすべて受けとめ、自らの決意を行動宣言として語る。貧しい人への施し、だましとったお金がある場合の4倍にしての返済などである(19・8参照)。イエスはそれに応え、ザアカイが神の救いの計画にあずかっていることを認め、それを「アブラハムの子」という言い方で宣言する。
 イエスが差別されている徴税人を救い、自分のもとに受け入れた話というよりも、これは、神のみ旨を悟り、救い主キリストの到来に気がつき、それに積極的にこたえる行動をしたことにおいて、一人の人が信仰の人、義の人と認められ、受け入れられていくというエピソードである。一つの召命物語であり、おそらくキリストの弟子となった人の体験談が反映されているのではないかと想像される。ザアカイが行動と言葉で示した果敢な信仰表明は、その人がキリストに従おうとするすべての人にとって生き生きとしたヒントになるだろう。
 ところで、きょうの第一朗読(知恵11・23〜12・2)は万物の創造主である神への賛美と信仰告白で、第2朗読(二テサロニケ1・11〜2・2)は、神への賛美と主の来臨への待望の気持ちで貫かれている。ザアカイの示した信仰宣言の奥行きを広げる内容として受けとめることができる。ミサの祈りのすべての側面がきょうの三つの朗読をとおしてよく照らし出されている。

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