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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2017年3月12日  四旬節第2主日 A年 (紫)
これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け (マタイ17・5より)


変容
  手彩色紙版画
  アルベルト・カルペンティール(ドミニコ会 日本)


 四旬節第2主日の福音朗読は、いつも主の変容の場面である(A年の今年はマタイ福音書が17章1-9節)。変容の出来事は、直前にイエスが自らの死と復活を予告する箇所があることから、復活の栄光を予告するものであり、その意味で、主の死と復活の神秘に向かう四旬節の趣旨を示している。イエスの姿が変わり、弟子たちには見えなくなる。そこで響く天からの「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」(マタイ17・5)という声は、四旬節を過ごす我々に対する神の呼びかけでもある。
 カルペンティール師のこの作品は、イコンに見られるような、弟子たちの恐れ、ひれ伏す場面(「弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた」マタイ17・6参照)を強調する描き方はしていない。右側の弟子(たぶんペトロ)が耳に手を当てている様子を描いているのは、天からの呼びかけを核心的なテーマととらえているからだろう。
 中央のイエスの(向かって)左にいるのはモーセ。十戒が記されている石の板を抱えている。右はエリヤである。モーセは目を閉じ、エリヤは目を開きながら、いずれも敬虔にイエスを仰いでいる。旧約の神の民の指導者として神の律法を代表するモーセ、そして預言者を代表するエリヤはともに旧約の時代を代表しており、その旧約の神の民の歩みが今やイエスの受難と復活によって凌駕(りょうが)され、完成されることがここに暗示されている。彼らと40日という象徴的期間とのつながりが深いのも、この四旬節第2主日に登場するにあたっての隠し味的要素である。モーセは、雲の中から呼びかけられる主と会うために山に登り、40日40夜山にいた折(出エジプト記24・15−18参照)、エリヤは40日40夜歩き続けて神の山ホレブに着いたのである(列王記上19・8参照)。四旬節第1主日(先週)で読まれた、イエスが悪魔の誘惑を受けた40日間(ルカ4・2参照)とともに、これらは神と出会うための試練の象徴である。四旬節の霊的意味がこうして見事に含蓄されている。
 このような要素が含まれつつも、四旬節第2主日A年の聖書朗読配分の全体は、やはり「これに聞け」という弟子たちのイエスに対する信仰への呼びかけ、召命にあることは明らかである。第1朗読ではアブラム(アブラハム)への召命が読まれ、第2朗読では、二テモテ書から「神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです」(二テモテ1・9)という箇所が主題になっているからである。この絵で、ペトロが耳に大きな手を当てていることは上述したが、それは神の声を集中して受けとめているところであると思われる。たしかにペトロは、変容したイエスに対して、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです」(マタイ17・4)と口をはさみ、それに対して「これに聞け」という呼びかけがなされるという展開があるが、絵の中のペトロが何かを言っている様子には見えない。やはり、神の呼びかけにこたえて、イエスに聞く者となった姿を描いているのではないかと思われる。他の二人の弟子(ヤコブとその兄弟ヨハネ)が、イエスのほうではなく、そのペトロのほうを見ているというところは、伝統的な変容の図には見られない、独創的な描き方といえる。しかしこう描くことによって、画面の上には、モーセとエリヤによって象徴される旧約の神の民が、下には、使徒ペトロを頭とする使徒たち、すなわち新約の神の民の代表たちが描かれ、主の死と復活による旧約から新約への移行が暗示される画面となっている。
 この日の三つの聖書朗読と絵をとおして、まさしく神御自身の「計画と恵み」(二テモテ1・9)を深く思いめぐらすことができよう。

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