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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2017年10月1日  年間第26主日 A年 (緑)
正しくないのは、お前たちの道ではないのか (エゼキエル18・25より)


預言者エゼキエル  
ミケランジェロ画 
バチカン システィナ礼拝堂 16世紀


 ミケランジェロ(生没年1475-1564)が、教皇ユリウス2世に呼ばれて1508年から1512年までに制作したバチカン、システィナ礼拝堂の天井画(フレスコ画)のうちのエゼキエルを描く部分である。この天井画は中央には天地創造、人類の創造など創世記の9つの場面を描き、預言者(エゼキエルのほかには、ヨナ、エレミヤ、ヨエル、ゼカリヤ、イザヤ、ダニエルの6人、合計7人)、旧約の人物などが300 以上の人物像があるという。この作品の全体に関する美術史的解説書も多いので、16世紀初めという時代、ミケランジェロの思想として鑑賞するためにはそちらに学ぶことにして、ここでは、ミサにおける聖書朗読で、エゼキエルという預言者のもつ意味を、ここに描かれている人物像と照らし合わせながら考えてみたい。
 イザヤ、エレミヤ、ダニエルと並んで四大預言者の一人で、全48章という大きな書物となっているエゼキエル書から、主日のミサで朗読される機会は少ないほうである。A年では4回(四旬節第5主日、年間第23主日、きょうの年間第26主日、王であるキリスト)、 B年では2回(年間第11主日と第14主日)、C年では読まれない。待降節・降誕節の主日にも読まれることはない。四旬節にはA年の第5主日に読まれるが、他の年には登場しない。それでも、エゼキエルの預言は、はっきりと印象づけられるときがある。それは、復活徹夜祭で、そこで七つの旧約朗読の第7番目に採録されているからである(三つ選んで読まれる場合でも、比較的朗読されることが多いだろう)。「わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く」(エゼキエル36・26)という言葉を含む箇所で、これがキリストの復活の約束、入信の秘跡の予告と考えられているのである。
 エゼキエルは、バビロン捕囚の最中にある民に、回心を呼びかけ、救いの希望を告げるという使命に立つ預言者で、そのことばは、回心を呼びかける神の意志を表すものが多い。とくに、きょうの年間第26主日(A年)のエゼキエルの箇所は、まさしく回心をテーマとする典型的な箇所である。「悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、彼は自分の命を救うことができる。彼は悔い改めて、自分の行ったすべての背きから離れたのだから、必ず生きる。死ぬことはない」(エゼキエル18・27−28)。短い箇所であるが、エゼキエルの伝える神のことばの力強さは明確である。
 そのような、預言の味わいが、ミケランジェロが描くところの、エゼキエルの姿とよく響き合う。左手に巻物を抱えているところに、神のことばを預かる者のしるしが示され、彼の顔と目は真横になって、神のことばに集中しているか、あるいは人々に何かを訴えようとしているか、そのような表情である。そのダイナミックな全体の姿勢も、神のことばの生命感を映し出しているのだろう。
 さて、上に引用した、神のことばは、我々の心に直接訴えかけてくる。過去に語られたことばの記憶ではなく、今、語りかける神のメッセージである。きょうの福音朗読箇所(マタイ21・28−32)では、イエスは、ある兄弟のエピソードを語りながら間接的に回心のことを教えているが、ある意味で、ここに隠されている神の直接の呼びかけが、エゼキエルの預言を通して告げられている。それは、もう預言ではなく、福音である。イエスの話の根本にある神の意志がはっきりと語られているからである。ミサの聖書朗読においては、まさしく、今、民に呼びかける神のことばとして告げられるから、もうそこには、キリストのことば、福音がある。第2朗読のフィリピ書は長い場合の2章1−11節には、受難の主日の第2朗読、そして聖金曜日の典礼の詠唱で歌われる2章7−9節「キリストは人間の姿で現れ……」(典礼訳)が読まれる。
 聖週間の時期とおおよそ半年離れたこの9月〜10月の主日の聖書朗読には、キリストの受難の想起が隠れたテーマとして流れている。回心の呼びかけとともに、キリストの十字架が想起される、このようなきょうの配分の含みと味わいを、ミケランジェロの姿とともに追想してみたい。

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