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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2018年1月14日  年間第2主日 B年 (緑)
「わたしたちは……メシアに出会った」(ヨハネ1・41より)

使徒アンデレ  
石彫  
ドイツ ハルバーシュタット 聖母教会 1200年頃

 きょうの福音朗読箇所(ヨハネ1・35−42)における主人公は、洗礼者ヨハネでもシモン・ペトロでもなく、ペトロの兄アンデレである。注目すべきことに、アンデレは初め洗礼者ヨハネの弟子であった。それがヨハネの証言を聞いて、イエスの弟子に転じ、弟のペトロに「メシアに出会った」と告げてイエスとの出会いに導く。ペトロに先んじて最初にイエスの弟子になった人物として、東方では「プロトクリトス」(最初に呼ばれた者)と呼ばれるようになる。
 その後の生涯についての伝承によれば、アンデレはギリシア各地で宣教をした後、ペロポネソス半島のパトラスに至り、そこで、不治の病にかかっていた同市の総督の妻をいやし、改宗に導いた。すると総督の怒りを買い、鞭打ちの刑に処される。最期はX型の十字架に縄で逆さに縛りつけられ3日後に絶命したという。この伝承によりX型十字架はアンデレ十字架と呼ばれるようになるほどである。
 4世紀にコンスタンティノポリスを中心に崇敬が高まるが、西方でも徐々に崇敬が広まり、6世紀にはラヴェンナでアンデレに献堂された礼拝堂が建てられる。そこのモザイクには、白髪を逆立て、髭を生やした激しい意志の男性として描かれている。以後も、年長の男性(ペトロの兄として)の印である白髪と髭が彼の属性となる。アンデレという名は、「男らしい、勇敢な」を意味する。この石彫は、かなり写実的で、そのなかでもやはり上に向かって大きく見開かれた目、眉間から鼻にかけてのはっきりした線がたしかに男らしさを強調している。
 このアンデレの石彫をヒントにしながら、考えてみたいのは福音書における「見る」の重みである。特にきょうの福音朗読のヨハネ1章35−42節には「見る」やそれに類する語がたくさん出てくる。
 洗礼者ヨハネが歩いておられるイエスを「見つめて」、「見よ、神の小羊だ」と言う(35節)。イエスは、ヨハネの二人の弟子が自分に従って来るのを「見て」「何を求めているのか」と訊かれる(38節)。どこに泊まっているのかと言う弟子たちに対して、イエスは言葉で答えず「来なさい。そうすれば分かる」と言う(39節)。つまり百聞は一見にしかずと答えたようなものである。弟子たちは実際、ついて行って、どこに泊まっているかを「見た」。二人の弟子のうちがアンデレであるが、彼は、弟のシモンに「わたしたちはメシアに出会った」と言う。出会うも、「見る」の一つの形である。彼に連れられたシモンを、イエスは「見つめて」「ケファ」と呼ぶことにするという。
 この「見る」の展開を追っていくだけでも、イエスの現れ、イエスとの出会いの緊張感が伝わってくる。ここでの「見る」は、ただ日常的なだれそれを見ることではなく、神を「見る」こと、神のまなざしのもとにある「見る」ことであろう。そのような、人間的な「見る」をぎりぎりで超えていくような「見る」行為が触れられている点がヨハネ福音書のここの叙述の味わいである。この石彫のアンデレのまなざしの強さからも、そのようなところを黙想してみたい。そして、このアンデレにはやや悲しげな表情も見られる。このあたりが、12-13 世紀の美術にこめられてくる感情表現への傾きを示しているものかもしれない。
 さて、福音書では、「見る」の大切さと同時に、「聞いて従う」という行為が印象深く記されていることも忘れてはならない。ヨハネの二人の弟子が「見よ、神の小羊だ」という洗礼者ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従ったというところである(1・27)。第1朗読サムエル上3章3b節−10節、19節のながでの、サムエルをたびたび主が呼ぶというところ、そして、それに対して、「僕は聞いております」と答えるところの中に、すでに示されている。
 「見る」という意味でのあかし(目撃証言)、「聞き従う」という意味での信仰が、もっとも根源的な経験内容として語られるのが、このように、聖書である。「見る」も「聞く」も人間の最も基本の感覚作用でありつつ、ここでは最も重要な信仰用語になっているのである。このアンデレの目が、そのことへの黙想にも招いてくれるようである。

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