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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2018年3月25日  受難の主日 B年 (赤)
「お前がユダヤ人の王なのか」(マルコ15・2より)

ピラトの前のイエス     
二枚折り書き板装飾 
アトス ヒランダリ修道院 14世紀

 アトス山のヒランダリ修道院の「二つ折りの書き板」は、すでにたびたび表紙でも紹介している。再三の情報になるが、アトス山はギリシア中央部、エーゲ海に突き出た三並びの半島の最も東側にある岩山からなる半島。20の修道院やその他の小さな施設を含む一大修道院共同体で、自治権をもつ一種の修道院共和国として知られる。20の修道院のうちの一つ、ヒランダリ修道院で14世紀に作られた「二つ折り書き板」の装飾は、キリストの生涯図を描いた後期ビザンティン工芸芸術の代表作として知られる。
 「二つ折り書き板」とここで訳した言葉の原語はディプティコンで、東方正教会の聖体礼儀(ミサ)での奉献文の取り次ぎの祈りで記念される、生者・死者を含む共同体のメンバーの名を書き記した板のことである。そのキリストの生涯図は24場面(24コマ)からなり、聖書黙想の“友”としての価値が高い。
 最後の晩餐と洗足の場面に続く受難の出来事に関してはユダの接吻(イエスの逮捕の合図)、ピラトの裁判、辱め、鞭打ち、十字架に付けられる、十字架上で息を引き取る、十字架から降ろされると続く。
 きょうの場面は、ピラトの裁判。受難の朗読(長い場合マルコ14・1〜15・47、短い場同15・1−39)に登場するピラトとイエスが対決する場面である。ピラトは、ローマ帝国支配下の第5代総督 (在職 紀元26−36年) で、通常はカイサリアに滞在していたが、過越祭のころは治安維持のためエルサレムに滞在していたという。福音書の受難記事の中では、ユダヤ人の要求に押されて、イエスを十字架刑に決定する役割を演じる。各福音書でニュアンスの違いがありなからも、総じて、ピラトはイエスがメシア(ユダヤ人の王・キリスト)であることを逆説的にあかしする役割を演じている。その結果、イエスの十字架の死がまぎれもなく歴史的事実であったことがピラトの名とともに記憶されることになった。信仰宣言で「ポンティオ・ピラトのもとで」と彼の名が告げられる意義がそこにもあるのだろう。ピラトはキリスト教美術の中では、330 〜40年代の石棺彫刻に早くも登場する。
 マルコ15章のピラトの尋問の箇所を他の福音書とも比べながら見てみよう。マルコ、マタイは基本的には同じで、ピラトが「お前はユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスが「それは、あなたが言っていることです」(マルコ15・2)と返し、ピラトが再び尋問すると何も答えなくなる(4−5節)。ユダヤ人の王であるかどうかは、人々やピラトの関心事であり、イエスはその同じ地平には立っていないことが浮き彫りになる。イエスの沈黙が印象深い。ルカでは、イエスが「それは、あなたが言っていることです」と答えるところは同じだが、その後は少し変わっていて、イエスの沈黙は強調されず、むしろピラトが「わたしはこの男に何の罪を見いだせない」と告げる(ルカ23・4)形になっている。
 聖金曜日の受難朗読で読まれるヨハネ福音書になると、ピラトとイエスのやりとりがもっとふくらんでいる。そこでのイエスの返答は「わたしの国は、この世に属してはいない」(18・36)という明確なメッセージを放つ。4つの福音書はおそらく同じことを考えているのであろう。マルコとマタイの記す「沈黙」の意味をルカやヨハネがさらに深く説き明かしているともいえる。イエスの受けたこの世からの“裁き”を教会が思いめぐらしていった過程が、これら4福音書の受難叙述の多様性に反映されているのだろう。
 我々にとって、イエスの沈黙のほうがよりインパクトがあるのではないだろうか。この世の国と違う次元におられるイエスの位置がいっそう重く感じられるのである。そこから十字架の死に至るプロセスは、イエス自身の歩みにおいて、この世と神の次元とが険しく接していくあり様を示していよう。
 表紙作品の小さな場面の中でも、ピラトとイエスの姿の間の空間がすでに金色に輝き、神の国の現れが極まっているように感じられる。きょうの朗読の締めくくりに置かれている百人隊長の叫び、「本当に、この人は神の子だった」(マルコ15・39)という事実が、このピラトの裁きの場面に輝き始めている。「ポンティオ・ピラトのもとで」(使徒信条)とミサの信仰宣言で唱えるときなどにも、この絵に含まれる栄光の始まりを思い起こして、味わってみたいと思う。

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