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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2018年5月6日  復活節第6主日 B年 (白)
互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である(ヨハネ15・17)

キリスト  
ロシア・イコン 
ドイツ レックリングハウゼン イコン博物館 1600年頃

 このロシア・イコンのキリストからは、どのようなイエスの心が感じられるだろうか。静謐、厳かさと慈愛、繊細さと力強さが同時に感じられないだろうか。作者の深い祈りが込められているので、我々も祈り・黙想へと引き込まれていく。そしてこの主の御顔のうちに、同時に父である神の御顔を感じとれないだろうか。「イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔」とは、先年行われた「いつくしみの特別聖年」(2015年12月8日〜2016年11月20日)を公布した教皇フランシスコの大勅書のタイトルだが、まさしく、このイコンのキリストの顔は、父である神の雰囲気に満ちているように思われる。
 きょうの福音朗読箇所ヨハネ15章9−17節は、その御父とイエスとの関わりに関することばに始まる。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた」(ヨハネ15・9)。そして今度は「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」(15・12)とイエスは命じられる。愛の根源は父である神にある。第2朗読のヨハネの手紙がはっきり語るとおりである。「愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです」(一ヨハネ4・7)と。
 その愛の源である父のみ顔、それを行ったイエスの顔が、このイコンでは互いに重なっていると見ることができる。そうすることによって、ヨハネ福音書のメッセージに新しい視点が開かれてくる。「愛」という言葉が今でもとても広く使われるものとなっているので、イエスのいう愛の斬新さ、特別さに我々はあまり気づかなくなってはいないだろうか。愛することは、単に気持ちの問題ではない。それは掟として、イエスによって与えられているものである。それは、愛がミッションだということである。イエス自身も、その愛の使命のために派遣されてき、今、イエスが弟子たち、そして我々をこの愛のために派遣しようとしている。
 このようなミッションとしての愛を語るイエスの顔をイコンに見るとき、そこには「厳かさ」の感覚が生まれる。単に、自分の心の中に生まれる情のようなものではなく、より根源的な存在(父である神)の存在や力を分かち与えられることとして、愛が考えられるとするなら、それは客観的なものであり、厳然としたものである。それを前にしては、自分の愛の弱さや狭さを感じざるをえないという気持ちである。
 ちなみに、このイコンのキリストの頭の後ろの光輪(栄光のしるし)には、赤い線で太い十字架が描かれている。上の文字はオー,向かって左はオメガ、右はエヌ。これら三つの文字で「存在する方」を意味する。これは、出エジプト記3章14節に基づく。神がモーセに自らのことを「わたしはあるという者」として示したことが背景になっている。神が存在そのものであるともいえるし、いつもともにいる方であるという意味にもなる。「神は愛だからです」とも説かれる(第2朗読の一ヨハネ4・8参照)、神のあり方の永遠性、普遍性、現実性などを示す文字が神の存在と神の愛の関係について思索を促す。
 他方、イコンを通して、我々は、厳かさだけでなく、近さ、親しさのような感覚にも導かれる。キリストの顔のうちに、キリスト自身のいつくしみと、父である神のいつくしみをともに感じてしまうのである。この感覚は、福音書に出てくる「友」という言葉とも響き合う。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15・13)と明言されるとおり、愛は、人と人の間に自由で対等な関係を創り出すものだろう。もっともこの「友」関係も、ただの人間関係ではないということも教えられる。少なくとも、キリストと弟子たちとの間の関係には、「わたし(イエス)が、あなたがたを選んだ」(ヨハネ15・16)というようにあくまでイエスに主導性がある。ここにも源には父である神がいる。そこには、人と人の間の「友」関係そのものにも、つねに神が働いているということの教えが含まれているのではないだろうか。

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