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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2018年12月16日  待降節第3主日 C年 (紫)
その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる (ルカ3・16より)

洗礼者ヨハネとイエス 
ステンドグラス 
ドイツ ヘッセン州立美術館 13世紀

 イエスの洗礼のステンド・グラス−小さな空間に、洗礼者ヨハネとイエスと天使が描き込まれている。
洗礼を受けて水から上がるイエスに新しい衣を着せようと待っている天使は、イコンでは複数描かれるが、ここでは一人。しかし、このような中にも水の中から現れたイエスは、天使さえも仕える主であるという意味が示されている。
 ここで目を奪うのはイエスの裸の姿ではなかろうか。全身がヨルダン川の水の中に浸っているように描かれている。聖霊の注ぎに関する鳩は見られないが、ここでは、水の動きのうちにすでに聖霊の動きが感じられる。水の部分がイエスを包む衣のようになって見えるのである。このようにして、イエスにおける人性と神性の結びつきが描かれているように思われる。
 洗礼者ヨハネの姿は、威厳をもって、イエスの頭に祝福をするしぐさをしている。洗礼を授けているというよりも、イエスをやや下から見上げるようにしているところには、やはり彼もイエスに仕える者として描かれているのだろう。このような姿勢のうちに、きょうの福音朗読箇所ルカ3章10−18節と響き合うものがある。この箇所は、ルカ福音書では、イエスが洗礼を受ける前の段階のところで、洗礼者ヨハネの宣教活動の一端が示される。そのような中で、「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」(ルカ3・16)とイエスの到来を予告する。
 ヨハネは、そのあと、「ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた」(3・18)とある。「福音を告げ知らせる」のはイエスではないかと思っていると、そのことを既に行っていたように伝えるのがルカである。その内容は、上述のように、「わたしよりも優れた方が来られる」(16節)というメッセージなのではないか。救い主が来られる、そこにまさに福音がある。それは、まさしく喜びの知らせであるだろう。第1朗読のゼファニヤ書3章14−17節は冒頭で「喜び叫べ」と告げ、第2朗読のフィリピ書4章4節−7節の冒頭も「主において常に喜びなさい」とある。そのフィリピ書のことが入祭唱となっているように、待降節第3主日は伝統的に、既に主の到来を予感する喜びを主題とする日、「喜び(ラテン語ガウデーテ)の主日」である。水の中に全身を浸すイエスの真正面を向いた姿から、我々はその喜びを感じてみたい。
 ところで、このステンドグラスで、川の中に「魚」が描かれている。2世紀末から3世紀の初めの教父テルトゥリアヌスは、人が洗礼によって信者になることを「魚のごとく水から生まれる」と表現したという。そこで魚は、イエスの到来によって救われる人を意味することにもなった。この二匹の魚は、イエスの体に触れながら、泳ぎ戯れているようである。そこに主の到来を喜ぶ心が表されているのではないだろうか。また魚を意味するギリシア語のイクトゥス(ΙΧΘΥΣ)が「イエス・キリスト=神の子=救い主」の各語の頭文字を合わせた言葉であるという点がヒントになり、魚自身、古来、キリストの象徴と考えられている。すなわち、救われる人の象徴でもあり、イエスの救い主としてのあり方を共鳴的に示す存在である。可愛らしくもある魚が、救い主キリストをより身近に感じさせる。

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