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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2018年12月25日  主の降誕(夜半のミサ)  (白)
今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった(福音朗読主題句 ルカ2・11より)

主の降誕      
フレスコ画(部分)  タッデオ・ガッディ画
フィレンツェ サンタ・クローチェ聖堂 バロンチェッリ礼拝堂 1332〜38年

 夜半におけるイエスの誕生を思い浮かべさせる、タッデオ・ガッディ描くフレスコ画を鑑賞しながら、きょうのミサの聖書を黙想しよう。
 タッデオ・ガッディは、1290年から1300年頃にフィレンツェで生まれ、そこで生涯を過ごした画家。父ガッド・ガッディがジョットの親友であったという。タッデオは代父でもあったジョットの弟子として24年間もその工房で働いた。1347年頃にはフィレンツェ最高の画家と称された。ジョットの作風に忠実だったという(『新カトリック大事典』研究社、『小学館 世界美術大事典』小学館、参照)。降誕の絵がある同市のサンタ・クローチェ聖堂バロンチェッリ礼拝堂を飾るキリストの生涯図が代表作となっている。
 ジョットの描く降誕図と比べるとよいものかもしれないが、中世の写本画にもあるような牛とろば、天使が保持されている一方で、ヨセフは、イコンにしばしば見られるように、出来事の不思議さに思いに沈んでいる様子で描かれている。マリアも幼子を胸に抱く姿で描かれるのは、単独の聖母子図との対応を感じさせる。
 大きな建物の脇にただ簡単な屋根がついているだけの、(これでも厩〔うまや〕であろうか)空間にマリアの姿が大きく浮かび上がる。少なくとも、壁は描かないことで、起こっている出来事の中身を強調しようとする描き方なのだろう。このように、建物に付随した空間での誕生が、タッデオのこの絵の構図では強調されることになる。それが、ルカ福音書曰く「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」(2・6ー7)。今あらためて見ると、イエスが生まれたときの記述はただこの二節だけである。表紙絵と照らし合わせると「彼らの泊まる場所がなかった宿屋」が意味するもの、この絵の右側の壁の部分が何を象徴しているかが気になってくる。
 先週の第1朗読で読まれたミカ書5章1−4節で予告された救い主は、ダビデの出身地であるベツレヘムに、ダビデの家系に属するヨセフのいいなづけマリアから生まれるという系譜を述べながら、ルカの叙述は、預言を通して約束された救い主が今まさに生まれようとしている瞬間に向かっていく。人が宿る建物でないところに生まれたというところに、イエスという方の運命が暗示されてもいるようである。
 しかし、イエス誕生の絵は、どこからでもない場所から差し込む光に包まれている。事柄そのものが神のはからいの成就であることを示すかのように、光の充満が感じられる。第1朗読のイザヤ書9章1節「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」――この文言にある闇と光のコントラストが、この絵では、多少遠近法が採用されているために、奥行きのある空間の内部で光が灯り、闇夜に向かって放たれているようにも見える。外からの光ではなく、内からの光という観点から、聖書が告げる「光」を味わえることも興味深い。
 左側の人物は羊飼いというより、中世のこの時代の人物を表しているようである。救い主の誕生を人間世界の象徴といえようか。マリアの衣や表情、光輪は充分にその独特な尊厳を表している。女王とまでたたえられてひときわ崇敬を集めるようになった時代の感性を示している。
 空に浮かぶ天使たちは自由に躍っている。下を向いている天使は、人々に救い主の誕生を告げる姿に(ルカ2・11参照)、天上を仰いでいる天使は「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(2・14)と賛美していよう。

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