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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2019年11月03日  年間第31主日 C年 (緑)
ザアカイ、急いで降りて来なさい (ルカ19・5より)

ザアカイを呼ぶイエス  
挿絵 ケルンで作られた朗読福音書 
1250年頃

 イエスとザアカイの出会いの場面をクローズアップして描く挿絵である。本日の福音朗読箇所ルカ福音書19章1-10節のエピソードは、ルカだけが伝える興味深いものである。
 この場面は、案外早く4世紀からすでに、イエスのエルサレム入城の絵の一要素として登場している。中世になると入城の一部として描かれる例は少なくなり、むしろ、この挿絵のようにイエスとザアカイの出会いという画題で単独で描かれるようになる。さらには、ザアカイの家でイエスが食事するといった場面まで描かれることもあったという。
 この挿絵では、イエスが左手に持つ巻物の開いた部分があたかも漫画の吹き出しのようになっていて、イエスのことば「ザアカイ、急いで降りて来なさい」(ルカ19・5)が記されている。
 ザアカイは徴税人で、ユダヤ人の社会から疎まれる存在だった。徴税人はしばしば規定額以上を取り立てていたらしい(ルカ3・13参照)。徴税人レビの召命の話(ルカ5・27-32。マタイ9・9-13では「マタイ」の名で出てくる)が示すように、彼らは罪人と同列にみなされ、差別されていた。ザアカイとの出会いについても、周りの人たちから「あの人[イエス]は『罪深い男』のところに行って宿をとった」(ルカ19・7)と言われている。
 ザアカイは一方そのような「徴税人の頭で、金持ちであった」(19・2)。金持ちとイエスの出会いとしては、ルカ福音書の前章18章18-30節(並行箇所マタイ19・16-30;マルコ10・17-31)にある「金持ちの議員」との対話も参照してよいだろう。そこでは、金持ちの議員は「持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい」というイエスのことばに応えられず、「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか」と嘆かれることになる。このような背景から見ると、イエスが徴税人ザアカイを呼び、「あなたの家に泊まりたい」と言うという展開は上述のレビ(マタイ)の召命にも匹敵する。ザアカイは、イエスが来たことを聞くと「イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った」(ルカ19・4)。「ザアカイ、急いで降りて来なさい」とイエスから呼ばれたときに、そのとおり、「ザアカイは、急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた」(6節)。召命への見事な応答である。そのうえ、ザアカイは、金持ちの議員と異なり、財産を貧しい人々に施し、だましとった金を償う決意を示す(8節)。すると、イエスから「今日、救いがこの家を訪れた」と告げられるのである。
 さて、絵を見ながら考えてみたいのは、イエスがどうしてザアカイに気づいたかということである。「失われたものを探して救うために来た」(10節)というイエスのことばから、ルカ15章1-32節の箇所(本年の年間第24主日の福音)とのつながりが浮かび上がる(この15章のたとえ話も実は徴税人や罪人たちの前で語られたものだった)。つまりイエスはザアカイの回心の気持ちに気づき、彼を見上げて、声をかけたのではないだろうか。イエスが来たという知らせを聞いてからの彼の「走って行く」姿、いちじく桑の木に登るという目立つ行動のうちに彼の気持ちを察知したにちがいない。背が低かったという具体的な描写が出来事のきっかけになっているが、これは、イエスの到来を前にした人の回心と、その人への召命の出来事を強調する比喩にもなる。世の中で疎んじられている、小さくされている人が、自らの人生を改め、人のためになるという生き方へと転じていくとき、そこにはすでに神に従う道が始まっている。信仰者には、どこかでザアカイのようなイエスとの出会いがあるのではないだろうか、そしてまた、これからもありうるだろう。
 この挿絵は、木を登っていくザアカイの動きを足や手の描写でひときわダイナミックに描いている。彼の気持ちがまざまざと伝わってくる。その彼を見上げ、祝福するイエスの表情は明るく、その姿勢と動作は力強い。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

出会いとしての救い
 聖書の「今日」は日常的な時間の流れから跳びぬけた特別な日、すなわち神の言葉が成就するその日を表す。詩編118の24節が「今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い、喜び踊ろう」と歌うとおりである。
 ザアカイとイエスの出会いは、特別な「その場所」で、しかも「今日」という特別な日に起こったとされているから、特別な出会いということになる。なぜ特別なのか。それを解くには、5節の「ぜひあなたの家に泊まりたい」に含まれているキーワードに注目すべきである。この箇所を直訳すると、「あなたの家に私は留まらねばならない」となるが、この「ねばならない」と訳した言葉〔デイ〕がキーワードとなる。
 日本語の「ねばならない」は義務の意味が強いだろうが、この語デイは義務だけでなく、出来事の必然性をも表す。
雨宮 慧 著『聖書に聞く』「6 つぶやかないためには」 本文より

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