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コラム

コラム一覧へ キリストは私たちの平和――日本カトリック平和旬間(8月6日~15日)

ウェイン・バーント(那覇教区司教)
 戦争を考えるとコヘレトの言葉が浮かんできます。「なんという空しさ、すべては空しい」(コヘレト1・2)。しかし平和を考えると「実に、キリストは私たちの平和であります」(エフェソ2・14)という言葉を思い起こします。私たちは「キリストと共に復活させられたのですから、上にあるもの」(コロサイ3・1)すなわち、天の賜物である平和を求めなければなりません。
 自分の周りで戦争の準備が進む様子を頻繁に見る沖縄県民は、ルカ福音書をよく理解しています。「有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできない」(ルカ12・15)。基地があっても、ミサイルがあっても、沖縄に住んでいる私たちの命を守ることはできません。逆に戦争になると標的にされ、最初の犠牲者となるのは私たちです。
 平和をもたらすために「古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け」(コロサイ3・9)る必要があります。戦争、差別、武器は古い人にまつわることがらです。「日々新たにされ」(同3・10)る新しい人は、対話、ゆるし、寛大さをもって皆の平和のために働きます。すなわち、新しい人はキリストの心をもってすべてを成し遂げるのです。
 「キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられる」(同3・11)ので、沖縄の人、アメリカ人、日本人、中国人などの「区別はありません」(同)。皆は神の子ども、皆は兄弟姉妹なのです。広島と長崎の上に原子爆弾を落とすことができたのは、敵を同じ人間と思わなかったからです。逆に、日本で唯一の地上戦を体験した沖縄県民を同じ国民と思うなら、彼らをもう一度犠牲にしてしまう状況には置かないはずでしょう。
 キリストの心をもって「新しい人」となった皆さん、キリストが望んでいる世界を築く使命を果たしましょう。被爆者の泣き声を聴いて、核兵器を廃絶するために働きましょう。沖縄県民の叫び声に耳を傾けて、戦争の準備となることを止めましょう。(『聖書と典礼』2019年8月4日号より)

『聖書と典礼』年間第18主日 C年(2019年8月4日)表紙絵解説

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