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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2015年11月29日  待降節第1主日 C年 (紫)
人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい (ルカ21・36より)


荘厳のキリスト
  『シュトゥットガルトの福音書』挿絵
  ドイツ シュトゥットガルト
  ヴィルテンベルク州立図書館 830 年頃

   

 「荘厳のキリスト」と訳される画題、「マイェスタス・ドミニ」、威光に満ちた主というのが原題で、中世前期の写本画や浮き彫りに頻繁に登場する。終末における主の来臨を思い描く図といえるもので、きょうの福音朗読箇所ルカ21章25−28節、34−36節に告げられる「人の子」の来臨の予告、そしてヨハネ黙示録の4章に述べられる天上の礼拝の光景が踏まえられている(さらにその背景には、エゼキエル書1章やイザヤ書6・2−3などがある)。キリストが左手にもつ本にはアルファとオメガの文字が記されているところにはもちろん、黙示録21章6節が踏まえられている。
 ここで玉座を囲む四つの生き物(黙示録4・6−7)は、それぞれ獅子、若い雄牛、人間、鷲のようであるとされる。一般に、四つの生き物を絵の四隅に配置する例が多いが、この福音書挿絵は、キリストの上下左右に配置している点で珍しい。ちなみに、四つの生き物は、たびたび紹介しているように、四つの福音書の象徴とみなされている。一般に、獅子はマルコ、雄牛はルカ、人間はマタイ、鷲はヨハネを示すものとされ、四つの福音書がともにキリストをあかしすると同時に絶え間ない賛美をささげているという構図になっている。
 これらの基本要素を組み合わせながらも、この絵ならではの個性が窺われる。まず何よりも強く印象づけられるのは、陰影に富んだ青(濃紺)の背景である。キリストがすでに天に上って神の右の座についておられるという意味で、天を描いているのだろう(イエスの背後の二行の文字もそのことを意味する文字が記されている)。濃厚の色の中に淡い青が「動き」を表現している。聖霊の息吹そのものであろう。このような天を表す空間に、四つの生き物を配置するために、上には鷲、下には人間が位置づけられていると思われる。天と地を結ぶ仲介者という意味でのキリストの在り方が考えられているようである。さらに、イエスの足もとには緑色の球体があるが、これは全宇宙の象徴であろう。キリストが万物の治める主であることのしるしである。
 このような天上からキリストが最後の完成をもたらすためにこの世に再び来るということがキリスト者の待望の内容である。使徒信条で「生者と死者をさばくために来られます」と唱えるとおりである。
 福音朗読の箇所は、人の子の来臨の前兆として、転変地異が予告され、また放縦や深酒や生活の煩いによる心の鈍りへの戒めがともに語られている。一見、不安や恐れを呼び起こすようなメッセージにも聞こえる。しかし、「大いなる力と栄光を帯びて雲に乗ってくる人の子」は、まぎれもなく完全な解放をもたらす方である(ルカ21・28参照)。「人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい」(同21・36)というメッセージは、裏返せば、主がいつも我々に目を注いでいることを確証させるものにほかならない。慈しみ深い主がいつも天におられ、最後の完成のために来てくださるという、力強い、救いの確約のことばなのである。この挿絵の場合は、キリストはひげのない若々しい姿で描かれており、そこには、永遠の命の主であるという意味が込められており、人々を呼び招こうとする開かれた心が明るさとして感じられる。
 このようなニュアンスをもって味わわれる、「荘厳のキリスト」の図は、ミサにおいて祈られ、またミサの祈りそのものを導く方としてのキリストを表現しているといえる。集会祈願の結び「聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリスト」にほかならない。感謝の典礼において、感謝の賛歌「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主、主の栄光は天地に満つ。天のいと高きところにホザンナ。ほむべきかな、主の名によって来たる者。天のいと高きところにホザンナ」と賛美される方が描かれているといってよいのである。
 待降節第一主日で仰ぐキリスト像は、典礼の一年を通してずっと、共にいてくださる方のイメージにほかならない。

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