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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2016年3月13日  四旬節第5主日 C年 (紫)
罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい (ヨハネ8・7より)


イエスと姦通の女
  アゴスティーノ・カラッチ作
  ミラノ ブレラ絵画館 1594年頃

   

 C年の四旬節第5主日は、ヨハネ8章1−11節。姦通の女に罪のゆるしを告げる場面である。表紙には、近世(16世紀末)に描かれた作品を掲げてみた。作者は、アゴスティーノ・カラッチ (1557-1602)。ボローニャ出身の画家で、弟アンニバーレ・カラッチ (1560-1609)と従兄ルドヴィコ・カラッチ (1555-1619)も有名であるところのカラッチ家の一員である。彼らは1585年にボローニャで美術アカデミーを創設し、古典主義、自然主義の立場からボローニャで絵画改革運動を推進したという。たしかにこの作品にも、古典的かつ写実的な人物表現の特性が感じられる。そして女の側とイエスの側との間の張りつめた状況をよく伝える。映画的想像力で、一つの出来事の中の一瞬の緊張に目を止めさせるようである。
 さて、ヨハネ福音書が伝える姦通の女の話は、中世の写本画でも描かれてきた例があるが、三つの光景に焦点をあてる。一つめは律法学者やファリサイ派の人々が姦通の女をイエスの前に引き出しててくる場面、二つめに彼らがイエスに訴え、問いかけているときに、イエスが地面に何かの文字を書いている場面。三つめには、律法学者たちが立ち去ったあと、イエスが姦通の女と向かい合っていて、「罪に定めない」と告げる場面である。このカラッチの絵の場合は、イエスは地面にものを書いてはいないので、姦通の女が引き出されている中で、イエスが人々に対して言葉を発している場面と考えられる。するときょうの福音朗読の主題句「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」が想起される。
 この言葉は、いみじくも律法学者やファリサイ派の人々が意図した罠を打ち破ることになった。もし、石殺しを命じるなら、当時ローマ帝国に握られていた死刑宣告権を犯すことになり、赦免し釈放するなら、姦通を罪とする律法を犯すことになるという二律背反の罠がそこにはあったと考えられるからである(雨宮慧『主日の福音(C年)』オリエンス宗教研究所刊、86頁参照)。
 イエスは、はるかに深い次元から言葉を発している。人々は女の罪を裁くことよりも、自分自身の罪を意識させられることになり、退散していく。女をイエスの前に連れてきた人々がイエスのこの言葉によって神のみ前へと引き出されたのである。そのあたりの緊張感にあふれる様子を、この絵は表現しようとしている。そして、ここでのイエスの威厳ある姿から(もちろん福音書の叙述も通して)、我々自身、神のことばに向かい合わされる。
 ちなみに、イエスが地面にものを書いたという行為は、聖書(旧約聖書・律法や預言)において告げられてきていた神のことばとの交わりを独特なかたちで意味しているようだ。こうすることによって、イエス自身が神のみ旨を体現する者として現れることになる。特に、書くという行為で、神のことばの力の働きをよりいっそう強め、いわば神のことばの絶対性、客観性を新たに示しているらしい(前掲書88-89 頁参照)。近世のこの絵では、イエスは人物群像の描写の中に一見溶け込んでいるようであり、また中世の絵のように、頭に光輪が示されるわけでもない。しかし、人間的に描かれるイエスではあっても、神のことば、神の意志を新たに告げる方であることを読み取っていかなくてはならないだろう。
 「罪に定めない」と宣言しているこの方は、神なる方である。彼が言う「行きなさい」は、実は、我々にもなじみの言葉である。ミサの派遣の言葉は「行きましょう」と訳されており、司祭が先頭に立って、民全体に一緒に行こうと呼びかけているニュアンスに感じられるが、原文を直訳すると「あなたがたは行きなさい」である。このように訳してみると、そこにまさにキリストの姿が浮かんでくる。我々はキリストによって遣わされる。この話の末尾、姦通の女は、新しい生き方へと派遣され、我々はミサで新たに神のことばとキリストのからだを受けて、それぞれの使命へと派遣されていくのである。

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