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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2016年3月20日  受難の主日(枝の主日) C年 (紫)
父よ、わたしの霊を御手にゆだねます  (ルカ23・46より)


磔刑像
  ジョット作
  フィレンツェ
  サンタ・マリーア・ノヴェッラ聖堂 14世紀初め

   

 ジョットは有名だが、もういちど、時代的位置づけを確認してみよう。1267年頃、フィレンツェ近郊に生まれ、1337年フィレンツェで没した、イタリアのゴシック絵画を代表する画家でルネサンスの先駆者ともいわれる。初期の芸術家としての形成は、ローマでなされ、その後、アッシジに赴き、サン・フランチェスコ聖堂上堂の壁画装飾に携わる。1300年からは、ローマを経て、パドヴァに向かい、有名なスクロヴェーニ礼拝堂(1303−1310)の壁画制作にあたる。以後、フィレンツェを主な活動の拠点とし、1300年前後に、この磔刑図(十字架板絵)も制作している。14世紀初めと記したが、細かくは13世紀最末期(1290年代) という説もあるようである。
 イタリアの十字架板絵の伝統では、12世紀ごろまでは目を開けて生きたイエスを描く伝統があったが、13世紀後半に趣が変わる。1270年頃の作とされるチマブーエの十字架板絵では、「苦しむキリスト」が主題となって、イコンの磔刑図に似た、細身の体に苦悶が表現される作風が現れる。それに対して、このジョットの絵は、はっきりと「死せるキリスト」を表現している。体はもはや動きを感じさせない。力を失った静けさに包まれている。「彫塑的に」表現とも評される。我々の目からは両腕の細さが異様に感じられるが、それだけに、重みで下がっているように描かれる身体の立体感や光があたって白く輝く様子が際立って印象づけられる。この身体の白さあるいは明るさに比して、頭部や顔は下向きに暗くされている。死の影が確かに感じられる。そして、何よりも右胸下に傷が描かれ、血が出ているように描かれることで、十字架での死が明確に主題化されているといえる。
 十字架板絵の場合、磔刑図の定型要素である使徒ヨハネとマリアは、横木の端に配置されているが、この狭い枠の中でも、陰影のある立体的な人物像としてしっかりと描かれていることが印象深い。彼らはヨハネ19章を踏まえて、磔刑図で描かれることが長い伝統となっていた。それをこのように着実に描くことで、福音書の受難記事に基づくイエスの十字架の死の現実味を高めている。
 しかし、「死せるキリスト」に画題が移行しているとはいえ、死んだ方が復活なさったというキリスト教の根本的宣教内容が裏切られることはない。イエスの身体の白い輝き、これは、聖なる輝きといってよい。ジョットの絵全体に貫かれる清々しい霊性が十分ににじみ出ている。それゆえにこの十字架のイエスの姿からは、えも言われぬ静かな感動を覚えさせられるのである。
 今年はC年。受難の主日の福音は、ルカ福音書から読まれるが、そこでは、十字架上でイエスが「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」といって息を引き取る。この言葉の意味を、この絵とともに味わってみよう。百人隊長の叫び「本当に、この人は正しい人だった」という言葉もここに重なってくる。神との関わりにおける正しさ、その意味で「本当にこの人は神の子だった」(マルコ15・39)とも響き合う。この絵の、キリストの身体がまっすぐ下に下がっていく根本線は、正しさの規準を意味しつつ、その背後で真上の天に向かっているはずである。

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