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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2017年10月15日  年間第28主日 A年 (緑)
あなたは、……わたしのために会食を整え (詩編23・5より 答唱詩編)


感謝の宴(エウカリスティア)
壁画
カリストのカタコンベ  2世紀


 キリスト教初期のカタコンベの壁画には、たびたび、表紙絵のような食事の場面が描かれている。もちろん、キリスト者の地下墓所という施設に描かれているところから、この食事の場面の中に、主の食卓、ギリシア語で「エウカリスティア」と呼ばれる主の食卓の典礼(聖餐、今のミサに発展する源)の図と解釈されている。とはいえ、ここにいる7人の姿はあまり判別できない。7人いるというところに何か意味があるのかもしれず、また中央の人物(右手を伸ばしている人)がやや強調されているので、キリストを示しているのかもしれない。それよりも、人物たちの前に描かれる緑色の部分も、それが食卓なのかどうかもわからない。むしろ目立っているのは手前にある8個のパン籠である。ただし、パン籠の上に描かれる二つの丸い輪は何なのか、ともかく、具体的なことはあまりわからない。パン籠を満たすパンの豊富さだけはよくわかるという図である。
 初期のキリスト教美術は、周囲の古代ギリシア・ローマ文化圏の美術や宗教、日常生活などから取った表象をいわば取り込む形で、キリスト教的信仰心をしだいに表現していった。したがって、ここもなんらかの食事の風景をモデルにしてキリスト教的「エウカリスティア」をイメージしたと考えてよいだろう。さらに地下墓所という場所柄をよく考えて、一般的なエウカリスティアではなく、古代の「死者との会食」という慣習の記憶が働いているという考え方もある。ほかには「天上の宴」(すなわち神の国の完成のときの宴)を描いているのだと解釈する可能性もある。
 この絵に関しては、8個の籠を満たすパンの豊富さが印象深く、それはおそらく、神の恵みの豊かさ、キリストが人間の新しいいのちとなって自らを限りなく分け与えてくれているという、主の食卓の神秘内容が映し出されているであろうと受けとめてみたい。そこにおいて、きょうの聖書朗読との関係が出てくる。
 今、「天上の宴」を神の国の完成のときの宴と称したが、救いの完成のイメージが「宴」(祝いの会食)とされていく一つの源が第1朗読のイザヤの預言にある。「万軍の主はこの山で祝宴を開き、すべての民に良い肉と古い酒を供される」(イザヤ25・6)。「この山」(同26・7)で、主は「死を永久に滅ぼしてくださる」(同25・8)。このような主(救い主)の到来を約束し、それを待ち望むことを呼びかける預言である。
新約聖書はもちろん、この主こそイエスであると信じ、あかししている。イエスが自ら、罪人(つみびと)とも一緒にした食事はそのような救いの宴の到来のしるしであり、またきょうの福音(マタイ22・1-14 または同1-10)で語られるように、イエスは、しばしば神の国(マタイでは「天の国」)を婚宴にたとえ、それに対するふさわしい態度と行動を人々に求めている。少ないパンを増やし、5000人や4000人の人を満たしたという奇跡も(マタイ14・13−21;15・32-38参照)、神の有り余るほどの恵みを示すものとして、深く人々の印象に残っている。このような、食事にまつわるイエスの行いや教えは、すべて神の国の到来、救い主である自らの到来の意味を示し、終末における再臨と神の国の完成にまで人々を呼び招いていくものである。我々が今参加し、ささげるミサはまさに、この主イエスの到来から再臨に至る間の時を生きる神の民(教会)の営みである。このカタコンベに描かれる会食の図は、その意味で、きょうの聖書朗読の箇所以上にミサの姿を映し出すものでもある。

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