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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2017年12月31日  聖家族 B年 (白)
わたしはこの目であなたの救いを見た(ルカ2・30より)

主の奉献  
ノヴゴロド派イコン 
ロシア ノヴゴロド国立美術史美術館 15世紀


 B年の聖家族の福音朗読箇所は、ルカ2章22−40節(長い場合)は主の奉献の祝日の福音と同じであり、この箇所の中の22−38節の中心的出来事=幼子イエスの神殿奉献を描くイコンを表紙に掲げた。
 ルカ福音書2章22−38節で述べられることの直接の背景は、律法(レビ12章。出エジプト13・11-16 も参照)にある。出産した母親が産後の清めの期間40日が過ぎたときにする献げ物の規定である(ルカ2・23−24参照)。しかし、ルカがこの出来事の中で、より大きく描くのは、信仰篤(あつ)い老人シメオンとの出会いにある。シメオンは幼子イエスにおいてすべての人の救いが実現したことを見、神をたたえてあかしをする人物である。律法に従ってする奉献の行いはあくまで状況設定に過ぎず、その中でのイエスに救い主を見たシメオンのあかしこそが主題である。それは、「シメオンの歌」と呼ばれて新約聖書中の代表的な賛歌の一つとなっており、「教会の祈り」(聖務日課)では、寝る前の祈りとして、一人ひとりの全生活が救いの訪れの確信と神への信頼のうちに一日を終えるというこの祈りを支えるものとなっている。
 この出来事を描く絵では、このイコンのように、幼子イエスを抱くマリアにシメオンが手を伸ばそうとしているものや、すでにシメオンが幼子を抱き取っているように描くものなどがある。またルカの叙述では、ヨセフの名前への言及はないが、「両親は〔イエスを〕主に献げるため、エルサレムに連れて行った」(ルカ2・22)と書かれているために、ヨセフもつねに描かれる。さらに伝統となるのは、2章36−38節に登場する女預言者アンナである。この人物も描くことで、幼子をささげる人、そして、幼子に救い主を見てそのことをあかしし、神を賛美する人が2倍に増えていることになる。この描き方自体にもキリストへの賛美があふれている。
 この出来事が聖家族の祝日に想起される意味をどこに考えることができるだろうか。敬虔に幼子イエスを神殿で主に献げたという行為の先には、イエス自身の十字架上での、人類の贖(あがな)いのための自己奉献がある。実際、シメオンのマリアに対する「この子は、反対を受けるしるしとして定められている」「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」という言葉(2・33−35)は、イエスの受難やマリアの苦しみを予告するものである。
 このように見ると、聖家族とは特別な家族というよりも、特別に神の計らいを信じて、わが子を神に献げ、その運命を共有する生き方をする家族ということになる。その意味で、第1朗読(創世記15・1−6、21・1−3)、第2朗読(ヘブライ書11・8、11−12、17−19)では、イサクを献げたアブラム(アブラハム)とサラの姿が予型として思い起こされている。
 もう一つの聖家族にルカ福音書の告げる神殿奉献の場面が読まれる意味だが、敬虔なシメオンもここでは、孤独な老人であり、女預言者アンナも夫と死別した孤独な女性である。しかし、彼らは、待望の救い主を幼子のうちに見て、神への賛美に満たされる。ここには、信仰に結ばれる「神の家族」の生成がある。
 このイコンは、幼子がほんとうに小さく描かれつつも、その白い布に包まれた姿は、この図全体の中心であり、かなめである。ここに居並ぶ人は、主を礼拝する新しい家族である。神殿を表現する建物の壮麗な姿は、神の家族が共に住む家としてのこの地上世界を象徴する。救い主の誕生は、すべての人の全生涯をそして死後も含めて、すべてのいのちを神の計画のもとに包み、導いていこうとしている。その神秘と出会う人々の穏やかな喜びと敬虔な気持ちがこのイコンから伝わってくる。
 聖家族は、イエス・マリア・ヨセフのあたかも核家族のような聖家族に目を向けがちだが、それは祝日の成立からの伝統を表現するものであり、聖書の文脈に立ち返ると、むしろ、もっと広い、新しい家族への希望が見えてくる。神の栄光の色(金色)が場面を包んでいるこのイコンから、その希望の香りを感じてみたい。

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