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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2018年1月7日  主の公現 (白)
わたしたちは東方から王を拝みに来た(福音朗読主題句 マタイ2・2より)

三王礼拝    
黄金写本挿絵     
マドリード エスコリアル図書館 14世紀初め

 主の公現。この公現の原語は「現れ」を意味するギリシア語のエピファネイアであり、ラテン語ではエピファニアである。きょうの福音朗読箇所マタイ2章1−11節で語られる、東方から来た占星術の学者たちが幼子イエスを礼拝するという出来事にちなみ、異邦人をも含む「すべての人のために救いが現れた」ことを祝うという意味で、「公現」と訳されている。
 第1朗読のイザヤ書60章1−6節の中の「国々はあなたを照らす光に向かい、王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む」(3節)は、ここでは、未来における救いへの待望と確約の言葉であるが、今や救い主イエスをあかしする言葉となって、この神のもとに、「黄金と乳香を携えて来る」(6節)人々のイメージが、東方からの学者たちの旅のイメージのもとになっている。福音書でいう占星術の学者たちはいつしか異邦人の王たちと考えられるようになり、また福音書で記される三つの贈り物(黄金・乳香・没薬)の数から彼らは3人と考えられるようになった。以来、キリスト教美術では「三王礼拝」が一般的な画題となって、多くの絵画が生まれたことは周知のとおりである。
 この写本画の王たちは、3人の格好は、そう区別はされていない。同じような冠をかぶり、同じように髭を生やしている。彼らの上に書かれている文字は、マタイ2章11節後半に基づき、「学者たちは……宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」と書かれている。ここでの3人の王の描写の面白いところは、微妙に、3人が幼子に近づくにつれて身をかがめていっているところである。ほんとうは、贈り物を献げる前に、「彼らはひれ伏して幼子を拝み」(マタイ2・11前半)となっているが、その動きの前後を表現することはできず、贈り物を献げる動作をしだいに深い礼になるという描き方によってニュアンスを出していることがわかる。その様子が実にリズムを生み出し、賛美の雰囲気を醸し出している。3という数は、三位一体を思い起こしても納得されるように、多様性と一致の意味合いを含む。礼拝のうちにあらゆる人への救いの恵みに対して、あらゆる人から感謝と礼拝がささげられるという交わりの感動が「3」人の王の描写にあふれてくる。
 マリアは東西共通の伝統に従って、女王の座につく母として描かれているが、その衣装はむしろ質素である。幼子イエスは小さな少年のようで、王たちに真っ直ぐ手を向けた、威厳ある祝福のしぐさをしている。足先がぶらんと出ているところは子どもだが、その手と顔で精一杯威厳を示そうとしているところが微笑ましい。味わうにふさわしい幼子の描写である。そのイエスにとっての玉座は母マリア自身である。マリアの落ち着いた姿勢と表情もまた、注目すべきものである。
 「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた」(マタイ2・11)の一言が非常に強く響く。マタイ福音書にとって「共におられる」が全体を通してのキーワードであることは聖書学的によく教えられる。1章23節のイエスの誕生の予告の中で「その名はインマヌエルと呼ばれる」という預言が引用され、この名は、「神は我々と共におられる」という意味であることが解説されている。また、マタイ福音書の末尾で、復活したイエスが弟子たちに「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(28・20)と告げるように、マタイはイエスを「共におられる方」とあかししているが、そのイエスがこの東方の学者たちの礼拝の場面では「マリアと共におられた」とされていることろに、それがわたしたち人類と共にいる救い主の意味合いであることも感じられてくる。マタイなりのマリア理解が十分に語られているとも感じられる。
 もう一つ、この絵の中で、三人の王がしっかりと贈り物の容器を抱えている手が微細に描かれている。三つの贈り物に関しては、教父たちによって、乳香は神への献げ物に使われることからキリストの神性に、没薬は埋葬に使われたことからキリストの死、すなわちその人間性に、そして黄金は王への贈り物として王としてのキリストに関連づけられた。これらを含めて、キリストについてのあかしが凝縮された絵であることを味わいたい。

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