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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2018年3月4日  四旬節第3主日 B年 (紫)
わたしの父の家を商売の家としてはならない (ヨハネ2・16より)

神殿を清めるイエス  エル・グレコ作 
油彩画 
マドリード サンヒネース聖堂

 エル・グレコ(生没年1541-1614)は有名な画家だが、生涯を簡単に見てみよう。当時ヴェネツィア共和国の支配下にあったクレタ島生まれのギリシア人であった。本名ドメニコス・テオトコプーロス。1567年頃つまり26歳の頃、ヴェネツィアに渡り、画家修行をする。1570年にローマに移り、1576年にスペインに赴き、1577年からトレドに定住し、数々の名作を残すこととなる。
 そのグレコが生涯にわたって描き続けた画題の一つがこの「神殿を清めるイエス」であった。イタリア時代に2作、スペイン時代に4作。つまり40年以上もこの主題に取り組んだ。そのため、同じ画題の作品を互いに比べての考察や批評が盛んである。表紙に掲げた作品は、そのもっとも後期のもの、グレコ晩年の作である。ちなみに、グレコだけではなく、この16世紀末から17世紀初めにかけて、この主題が盛んに描かれていた。それは、まさしくプロタスタントの宗教改革への対抗意図と、カトリック教会の内在的改革の気運をともに背景にした、カトリック改革の時代にあって全体としてのいわば綱紀引き締めを反映したものだったという。
 グレコ独特の人物描写による生き生きとした場面構成が、福音書が伝える神殿清めの場面のイエスの「熱意」をよく伝えており、深い印象を刻む。福音朗読箇所(ヨハネ2・13−25)にあるイエスの行い、「縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し」(15節)たこと。そうした激しい行為が、イエスの姿と衝撃を受けた周りの人々の姿で表現されている。画面左側手前には、その際に飛ばされた箱を持ち上げようとしている男が描かれているなど、ここでの想像力はきわめて演劇的、映画的であるといえるかもしれない。画面左端には、右手を天に突き上げた女性とその手前に裸の幼児が描かれている。これは、あたかも天使のような位置付けで描かれるもので、この出来事に含まれる根本的な神賛美すなわち父である神である「あなたの家を思う熱意」(ヨハネ2・17)を映し出しているものと考えられる。
 さらにこの最晩年の作独特の特色として背景の祭壇がある。ここの中央には、金色のオベリスク(方尖塔)があり、これは太陽の光を象徴するものだが、もちろん、これは、聖櫃と組み合わさっているようであり、全体としてキリストを象徴しているものである。この設定は、福音朗読箇所の内容とも深く結ばれる。すなわちヨハネ福音書のこの話は、同じエピソードを記す他の福音書(マタイ21・12−13、マルコ11・15−17、ルカ19・45−46)より詳しく、特に「神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」(ヨハネ2・19)との予告をもって自分の死と復活を予告する内容を含んでいるからである。この絵の前景にあるイエスの行動は、背後に暗示されるイエスの復活のいのち、栄光に輝くいのちに至る行動であるという意味合いが、安定した祭壇の光景に感じられる。それは、この神殿清めの舞台であるエルサレムの神殿を思わせつつ、すでに、キリストのからだの象徴となっている。前景に描かれる人間世界の動揺に対してそれは超越した静謐を感じさせてやまない。
 画面左に一つの彫像が見えるが、これは一般には、古代ギリシア神話の神アポロンの彫像といわれる。その場合は、異教とキリスト教の対比を示すしるしといえる。このような神殿の中にあるギリシア宗教の神の彫像を見ているときょうの第2朗読(一コリント1・22−25)が不思議と対応してくるのに気がつく。「ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです」(一コリント1・24)。アポロンの彫像の下にはアダムとエバの楽園追放の場面の浮き彫りが小さく見える。ここに注目するなら、人類が罪に堕ちた歴史との対比でイエスの到来の意味を示していることになる。自らの死と復活をもって永遠のいのちの楽園を回復した救い主イエス・キリストの神秘を深く黙想する画題として究められているのであろう。

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