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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2018年5月27日  三位一体の主日 B年 (白)
わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる(マタイ28・20より)

教えを授けるイエス 石棺彫刻(部分)
フランス エクサンプロヴァンス 司教座聖堂博物館 
5世紀頃

 きょう祝われる三位一体は、神のいのちの神秘に関する究極の教えともいえる。三つの位格(ペルソナ)をもつ一つの実体という概念的理解が三位一体という用語に凝縮されているが、ミサの聖書朗読は、ABC各年三様の角度から三位一体の神秘の豊かさを示すのもとなっている。
 今年(B年)は福音朗読では、マタイ福音書の末尾28章16−20節。弟子たちがガリラヤで山に昇って復活したイエスと会い、そこで、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(19−20節)ということばで派遣されるところである。直接「父と子と聖霊の名」が告げられるところから三位一体のあかしの箇所として選ばれている。この箇所との関連で、第1朗読(申命記4・32−34、39−40)では、主である神への信仰を呼びかけ、「主の掟と戒めを守りなさい」(40節)と命じるモーセの民に対することばが読まれる。この箇所の雰囲気も踏まえ、特に福音朗読では、命令するイエスの姿が印象深く、表紙では、教えを授けるイエスを表す石棺彫刻を鑑賞することにした。
 初期のキリスト像で羊飼いと並んで頻繁に登場するのが、掟を授与するキリストの像である。特に石棺彫刻ではこのタイプがさまざまに登場する。イエスは、髭のない若者として描かれることもあれば、この表紙に示した作品のように、髭を生やした力強い壮年男性として描かれることもある。ここでは、両脇の弟子たちがイエスに対して尊崇の姿勢を示し、足元にすがりつく弟子や女性も描かれている。上のほうでは、さらに天使の賛美も加わっている。全体として、主キリストの尊厳を強調する構成となっている。
 力強く挙げられたイエスの右手は、単に祝福をもたらすしぐさという以上の力強さを感じさせる。第1朗読にある、主である神の「力ある御手と伸ばした御腕」(申命記4・34)を思い起こさせる。ここには、まさしく人間の世界に働きかける「主」の姿がある。新約的にいえば、御父である神と、父と一体である御子キリストの姿が重ねられている像である。このように見ていくと、キリストの右手は聖霊を象徴しているともいえる。キリスト像には、このように、なにがしか三位一体の神秘を味わえる要素がいつもあるように思う。
 マタイ福音書は、復活後のキリストの昇天も聖霊降臨も語ることはないが、この末尾の箇所における、山で現れた復活のイエスには、弟子たちがひれ伏すほどの聖性と尊厳があり、そこで「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」(マタイ28・18)ということばが告げられる。実質的に「昇天」の意味が語られているといえる。イエスは天と地をつなぎ、どちらの次元においても主であることを自ら示しているからである。そして、最後のことば「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(20節)は、使徒言行録が語る聖霊降臨、ヨハネ福音書20章22節が語る聖霊の授与に相当する。自らが世の終わりまで弟子たちとともにいるという意味で、聖霊の役割を語り尽くしているともいえるからである。先週の聖霊降臨の主日(B年)の福音朗読箇所(ヨハネ15・26−27、16・12−15)で、聖霊は「弁護者」と呼ばれていたが、その原語パラクレートス(ギリシア語)は「そばに呼ばれた者」の意味であり、聖霊がいつも弟子たちとともにいて助ける存在であることを表しているからである。
 マタイ福音書は、イエスの誕生に関する預言「その名はインマヌエルと呼ばれる」(1・23)を引用しつつ、イエスのことをすでに「神は我々と共におられる」ことを表すものと暗示していた。この考え方が「いつもあなたがたと共にいる」という最後のことばにまで貫かれている。「共にいる方」としてキリストをあかしするマタイ福音書は、同時に三位一体の神を「共にいてくださる」神としてあかししているともいえる。このメッセージを、第2朗読のローマ書8章14−17節、そして表紙のキリスト像とともに味わってみよう。

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