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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2018年7月22日  年間第16主日 B年 (緑)
キリストは、……十字架によって敵意を滅ぼされました(エフェソ2・15−16より)


十字架のキリスト像  
ビルカの銀細工  
ストックホルム国立歴史博物館 900 年頃

 スウェーデンのキリスト教美術史上、最古の十字架磔刑像といわれる銀細工。全長3.5cmというから親指ほどの小さな作品である。900年頃とはまさしくスウェーデンでキリスト教の始まった時代のことであるので、その歴史を少し見てみなくてはならない。スウェーデン宣教の開拓者といわれるのは、ベネディクト会の聖人アンスガル(801年頃生まれ〜865年没)。831年にハンブルク初代司教としてスカンディナヴィア宣教の指導者となり、スウェーデン中部のビルカ(古い首都)に教会を形成した。848年、ハンブルク教区がブレーメン教区と合併するとハンブルク・ブレーメン大司教となる。ただし、本格的にキリスト教がこの地に浸透するようになったのは11世紀のことという。カトリック教会の管区制度が確立したのは12世紀半ばのことだった。
 スウェーデン教会草創期に作られたこの工芸品は、宣教師が古代ローマやビザンティンの芸術を背景にしたいわば先進世界の造形様式を持ち込んだというものではない。むしろ、アンスガルをはじめとする宣教師たちからキリスト教信仰を受け入れた住民たちによってその感性・感覚のすべてを込めて造られたものにあたる。ゴシック期やルネサンス期以降のキリスト教芸術における、写実的な、そしてきわめて「ヨーロッパ的」な十字架磔刑図に出会うことの多い、日本の我々としては、この像のもつ古代性、原始性から、埴輪や土偶が発するような不思議な力に似たものを感じてしまうのではないだろうか。
 この小さな作品の中でも微細な表現には驚かされる。脚の部分は編み目の筒状の衣に覆われ、手首の部分にもバンドのようなものが感じられる。真横に広げた手の部分の指が異常に大きい。胸のところには花模様のようなぐるぐると丸い形が盛り込まれている。キリストの顔は、アーモンド状というかハート型というかそのように輪郭がつけられている。素朴な表現ながらその両方の目の力は強く、開いた口は何か声を発しているようである。工芸技術面からも、そして、この十字架のキリスト像としての力からも、この作品は、北欧宣教最初の実りであるとさえ評価されている。我々が小さな十字架像を身に着けることがあるように、この像もだれかが身に着け、十字架の力により頼んでいたのではないかと思われる。
 さて、この作品が表紙に掲げられたのは、きょうの第2朗読箇所エフェソ書2章13−18節にちなんでのことである。そこでは、キリストの十字架がもたらしたものをはっきりと語っている。「キリストは、……、十字架を通して(ユダヤ人と異邦人の)両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」(2・15-16より)。ここにはユダヤ人は律法がかえって壁となって神と隔たっていたこと、異邦人は、他の宗教や哲学や世界観・価値観によって神を知らずにいたことが前提として考えられている。キリストの十字架は、この両者の神との間にあった敵意ともいえる壁を根底から崩すものとなった。十字架を通して、両者は神との一致のうちに一つの体になる。このことの実現が「平和」と語られるが、ここでの「平和」は単に民族の相違を超えての「平和」ではなく、第一には、神による和解の恵みであり、次には、それに基づく相互の平和をも意味しよう。神によって罪から解放されて生まれつつある「新しい人」、「新しい神の民」がここでは主題である。
 ちなみに、福音朗読箇所(マルコ6・30−34)、第1朗読箇所(エレミヤ23・1−6)でも、民の群れと牧者の関係 きょうの福音朗読箇所(マルコ6・30−34)、第1朗読箇所(エレミヤ23・1−6)を通じて、「群れ」や「群衆」と呼ばれる民に対して、救い主である牧者の姿が示される。実際には、それぞれに、ある文化や宗教の伝統を背負っている人々に対して向かっていく、キリスト教の宣教活動の序章を見ることができる。やがて、そこには、福音と諸文化との出会いが生まれる。
 救い主キリストが十字架をとおしてもたらしたものに対する、スウェーデン宣教初期の作品が感じさせる信仰の力を感じながら、我々のミサにおいても、キリストへの信仰を力強く告げていきたい。

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