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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2018年10月14日  年間第28主日 B年 (緑)
持っている物を売り払い、それから、わたしに従いなさい(福音朗読主題句 マルコ10・21より)

全能者イエス・キリスト  
ビザンティン・イコン
マケドニア オホリッド スヴェーティ・クリメンタ教会  13世紀

 「神は何でもできる」――こう弟子たちを諭すイエスのことばをヒントに、全能者イエス・キリストを示すイコンを掲げた。福音朗読箇所は、マルコ10章17−30節(短い場合は17−27節)。永遠の命を受け継ぐにはどうしたらよいかと尋ねてくる人がいた。その人は十戒をはじめとする律法の掟(おきて)を守ってきたというと、イエスは、「行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」(21節)と言う。財産をたくさん持っていたその人は、このことばに気を落とし、悲しみながら立ち去っていく。永遠の命を受け継ぐというのは、神の国を受け継ぐことと同じ意味で語られるので、神の国を受け継ぐ、すなわち神の国に入るにはどうすればいいのかということについての実例教訓のようである。イエスは嘆くように言う。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか」(23節)。そして一般論のように繰り返される。「神の国に入るのは、なんと難しいことか」(24節)。
 ここで質問してきた人との対話や弟子たちとの対話の中では、神とはどういう方であるかということも暗に教えられている。「神おひとりのほかに、善い者はだれもいない」(18節)。人が救われることについて「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ」(27節)といった教えである。唯一善い方としての神は何でもできる方であるということが、人の救いとの関係で語られている。
 第1朗読は知恵の書7章7−11節。ソロモン王が物語る部分の一部である。列王記上3章4−15節で、ソロモンが神から「何事でも願うがよい」(5節)と言われたときに、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めたということが前提となっている。朗読部分では、知恵を王笏や王座よりも尊んだこと、知恵に比べれば、富も無に等しいこと(知恵7・8)、健康や容姿の美しさよりも知恵を愛したこと(同10節)が語られる。ここでの「知恵」とは、神自身にほかならない。こうして、神を愛するということ、神を敬うということがどういうことであるかが暗に、そして具体的に教えられる。権力・富・健康・美しさは、現代の人々にとっても身近な欲望の対象でもあり、知恵の書にある諭しは心にすぐ響いてくる。
 これらの教えを、イエス・キリストのイコンをとおして聞き味わうのが意味深い。全能者イエス・キリスト像というイコンのテーマは、イエスの神性を強調するものといえるが、同時にこのキリスト像のうちに御父のみ顔を感じさせるものでもある。
 ところで、全能者と訳される原語はギリシア語のパントクラートール、ラテン語でオモニポテンスだが、厳密に訳せば「すべてに対して支配の権能をもつ方」という意味で「全支配者」と訳されることもある。ミサで、たびたび「全能の神よ」と呼びかけるときのことばは、直訳すれば「全能者/全支配者である神よ」という意味である。きょうのイエスのことばにある「神は何でもできる」(27節)も、広い意味では、このような全能者である神のことを言っていることになる。イエスは復活した後、御父である神の右の座に着き、今は、御父とともに生きて、すべてを支配しておられる。ミサの集会祈願の結びが表すとおりである。「聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン」と。
 全能者イエス・キリストのイコンのうちには、まさしくこの結びの文言で宣言されている「わたしたちの主イエス・キリスト」の姿を眺めることができる。支配という語で違和感があるなら、いつくしみと愛による保護と導きと言い換えてもよい。神の国への招きに響く、ある種の厳しさといつくしみの両面を深く感じ取ってみたい。

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