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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2018年12月25日  主の降誕(日中のミサ) (白)
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。
わたしたちはその栄光を見た(ヨハネ1・14より)

主の降誕      
ノブゴロド派イコン  
個人蔵  15世紀

 イエスはベツレヘムの洞窟でお生まれになった……これが古代末期から、とくに東方での描き方の基本であった。一般に馬小屋で生まれたというイメージが西方では強く、それがプレゼピオ(馬小屋模型)の基本形になっているが、夜半のミサで読まれるルカ福音書2章1−14節でも、馬小屋と明記されているわけではない。ただ、「飼い葉桶に寝かせた」という一言から自然に馬小屋が連想されているものと思われる。
 もちろん、洞窟で生まれたとも書かれていないのだが、このイコンのように、東方では誕生の場所が岩山の中の洞窟として描かれるのが慣例である。すでに6世紀以来の定型である。ベツレヘム地方特有の洞窟住居が背景にあってのもので、その上で、2世紀末頃の作とされる『ヤコブ原福音書』の記述が発想源となった。『ヤコブ原福音書』は、イエスの誕生に先立つ、マリアの誕生からヨセフとの結婚、そしてイエスの誕生に至る伝説的な内容から含み、マリア崇敬やマリアの生涯図のイコンの源ともなっている。それによると、マリアはベツレヘムの洞窟でイエスを産むのである。
 このイコンにも描かれる(向かって左下の)憂いを帯びた表情で座り込むヨセフも、『ヤコブ原福音書』に基づく要素で、降誕の出来事が人にとって不可解で不思議であることを示す。また、同福音書には、サロメという名の女性が産婆からイエスの処女からの誕生のことを聞くが、そのことを疑い、罰として手が焼けてとれそうになる。ところが、神に嘆願し、幼子イエスを抱き抱えると癒されたという逸話がある(荒井献編『新約聖書外典』講談社学芸文庫 参照)。イコンでは、二人の女性(乳母)が幼子を水盤に入れて水浴させようとしている光景が描かれ、これが図の下に配置されるのが通例化した。一人がイエスを抱え、一人が水を注ぐという構図が多い。
 マリアは産後の疲れの中で横たわっている。しかし、その姿は構図全体の中で中央を右上からの対角線上に大きく配置され、幼子に最も近く、最大の比重を与えられている。このイコンでのマリアが幼子と反対側のほうを見つめているのは、神の子の降誕の神秘を前にした一種の畏れを示すものとも考えられる。
 イザヤ書1章3節で「牛は飼い主を知り、ろばは主人の飼い葉桶を知っている」という文言をもとに、牛とろばはユダヤ人も異邦人も含め万人が主を知るようになったことを示す、古代・中世の降誕図の変わらぬ要素となった。ここでも、幼子の飼い葉桶(長方形型)を浮き彫りに示す役割をしている。幼子は、白い布でくるまれ、ひもで縛られている。これは人間としての存在条件のもとでの誕生を意味するとも考えられる。マリアの姿の大きさとその濃い茶色(人間世界の色だろう)と幼子を包む布の白さの対照が鮮やかである。まさしく、「言(ことば)の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている」(ヨハネ 1・4−5)、その「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(ヨハネ 1・14)のである。
 そして、このイコンのもう一つの大きな見どころは、天からの光が黒く描かれていることではないだろうか。これはどのように鑑賞したらよいだろう。「暗闇の中で輝く光」がこのような闇色で光を描く方法のもとになったのではないだろうか。信仰の目をもたなければ、それは光として感じられないのであろう。
 そして、目立たないが、この山の(向かって)左には、馬に乗る三人の王が描かれている。主の公現に読まれる東方からの来る学者たちのエピソードに対応する図である(マタイ2章1−12節)。たくさんの天使の姿が降誕の神秘と喜びを際立たせるこの図全体の中で、確かにすべての人への救いが示されている。
「地の果てまで、すべての人がわたしたちの神の救いを仰ぐ」のである(イザヤ52・10第1朗読末尾)。

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