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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2019年5月12日  復活節第4主日 C年 (白)
小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導く  (第二朗読主題句 黙示録 7・17より)

神の小羊への賛美
バンベルクの黙示録挿絵      
ドイツ バンベルク国立図書館 11世紀

 バンベルクの黙示録写本は11世紀初め1020年頃に作られたもので、挿絵は全部で50場面ある。金色の地が特徴である。中世の写本画制作の系統でいえば、『エグベルト朗読福音書』(980頃)と同系列に属し、神聖ローマ帝国オットー朝美術の時代の写本芸術の頂点をなす。美術史的には中世芸術がこれほど古典古代美術から遠ざかった例はないといわれるが、それは、人物に関しても背景に関しても写実への関心は薄く、象徴的表現性が極致に達しているからである。とにかくこの頃の写本画は、聖書のことばに依拠し、その内容に関心を集中させている。人物は眼差しや手のしぐさ、その他の付帯物を通して本文に示される役割やメッセージを担うものとなっているというのである。狭いスペースの中に人物の大きさを最大限に描く点も特徴的で、そのために、本文内容に対しては一定の簡略化が施されているのも常である。
 少し前置きが長くなったが、表紙絵は黙示録7章9-17節にあたる。絵の上の部分は、本文9節の「数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち」にあたる。絵では7 人がそれを代表している。さらに、本文14節では「長老」が「わたし(黙示を受けるヨハネ)」に語るが、この絵の下の部分では(向かって)左のヨハネに語るのは天使である。いずれにしても中心をなすのは「小羊」として描かれるキリストである。
 「小羊」という語は、ミサの平和の賛歌「神の小羊、世の罪を除きたもう主よ、われらをあわれみたまえ……(以下、略)」、それから拝領への招きのことば「神の小羊の食卓に招かれた者は幸い」によって我々に親しい。「小羊」はここでイエス・キリストを指しているが、新約聖書の中でキリストの意味で語られる「小羊」の用例箇所というと、すぐに思い出されるのは、平和の賛歌の典拠ともなっているヨハネ福音書1章29節「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」だろう。ここと同36節「見よ、神の小羊だ」は、ともに洗礼者ヨハネがイエスについてあかしするときのいわば尊称のようなものである。新約聖書ではほかにもキリストのことを「小羊」のイメージで語る箇所が散見されるが(使徒言行録8・32;1コリント5・7;1ペトロ1・19参照)、なんといっても「小羊」が頻出するのは黙示録である。黙示録は小羊=キリスト論の書といってもよく、とくに前週の第2朗読で読まれた5章12節の「屠られた小羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしい方です」や同13節の「玉座に座っておられる方と小羊とに、賛美、誉れ、栄光、そして権力が、世々限りなくありますように」などは、ミサにおける賛美句や栄唱の源泉といってもよいものである。「すべての誉れと栄光は、世々に至るまで」、「国と力と栄光は、限りなくあなたのもの」などを思い起こすだけでよい。
 小羊というかぎり、そこには屠られてささげられた、いけにえというイメージが付いている。そのことで、小羊としてキリストを呼ぶところには、つねに十字架上でご自分を人類の贖(あがな)いのためにささげられたキリスト自身とその行い、出来事が想起されている。そのことで、復活節C年では、第2主日から第6主日までこの黙示録の箇所が過越の神秘を説き明かす内容として朗読されていくのである。
 きょうの第4主日の箇所である黙示録7章9節、14節b~17節では、小羊としてのキリストだけでなく、キリストをあかしした人々のこともテーマになっている。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである」(14節b)。苦難を語る限りは、それは信仰告白者や殉教者たちのことを語っているように思われるが、「小羊の血で洗って白くした」という表現を幅広くとれば、キリストに結ばれて洗礼を受けた人々全般を指すとも考えられる。その信じる者に対して「玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き 神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれる」(17節)と約束される。まさに、きょうの福音朗読箇所の牧者であるキリストのイメージが重なり、一つに融合してくる。そこにきょうの朗読配分の妙味がある。表紙絵上段に描かれる、岩山の上に立つ小羊の姿は実に凛々しく、彼に従う人々に向かい合っている。それはミサにおいて我々が仰ぎ出会うキリストのイメージであるといってもよい。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

21章の出会いの場面で、イエスが自身の「羊を飼う」役割をペトロに託すに際して求めたのは、ただ、イエスに対する愛である。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」(16節)。
 イエスに「あなたのためなら命を捨てます」(13・37)と豪語しつつ、ひとたび試練にさらされるとあっけなく裏切ってしまった自らの弱さを知るペトロは、「わたしを愛しているか」というイエスの問いに対して「わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です」(16節)と答えるしかなかったのだろう。その精いっぱいの答えを受けて、イエスはペトロに新しい使命を与えられる。
(武田なほみ 著『人を生かす神の知恵――祈りと歩む人生の四季』「20 若葉のこころ」愛と使命 本文より)


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