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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2020年7月12日  年間第15主日  A年(緑)  
被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます(ローマ8・19)

使徒パウロ   
イコン    
アトス ヒランダリ修道院 14世紀

 きょうの福音朗読箇所(マタイ13・1-23)も第1朗読(イザヤ55・10-11)も大変味わい深い箇所で、重要な教えを含んでいる箇所であるが、今回、この主日の表紙絵としては初めて使徒パウロのイコンを掲げることにした。第2朗読のローマ書8章18-23節が、今年2020年の世界状況の中で、ひときわ強く心に響くところがあるからである。
 パウロは「異邦人への宣教者」とも呼ばれ、多くの手紙を新約聖書の中に残している使徒として、その知性への称賛も大きな額の強調が示している。それとともに、ここでは、聖書を両手で抱えているその手の描写の繊細さが印象深い。聖書を自分のためにがっちりと抱えているだけではなく、その指の開かれ方は、神のことばを広めよう、人々の心に届けようとする使徒の宣教心をよく映し出している。パウロの果たした役割をきょうの箇所とともに考えたい。
 その前に確認してみたいのは、現在の典礼暦と朗読配分の関係の中で、主日のミサで読まれるローマ書の配分である。待降節4回(A年第1-2主日、第4主日、B年第4主日)、四旬節5回(A年第1主日、第3主日、第5主日、B年第2主日、C年第1主日)、復活徹夜祭1回(第2朗読)のほかは、実は、A年の年間主日第9主日(今年は、第12主日から)から第24主日までずっとローマ書からの準継続朗読となっている。その意味で、A年はマタイの年であると同時にローマ書の年でもある。マタイ福音書と並んで、ローマ書の学びを今年の信仰生活の目標に設定してもよいのではないかと思う。
 さて、きょうの箇所ローマ書8章18-23節は8章が説き始めた、霊(聖霊)についての教えをひときわ広大な展望で語るところである。それは被造物という単語に象徴されている。創世記が語る万物の創造、人間の創造について思い起こさせ、同時に、現在、霊を受けて、神を「アッバ、父よ」と呼ぶことができるようになったこと(8・15参照)、神の子供とさせていただいていること(8・16 参照)──これは先週の第2朗読箇所──を踏まえている。きょうの箇所の直前は、こう語る。「キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受ける」(17節)。ここでキリストと共にある苦しみと、その栄光を受けることへの希望が、きょうの箇所のテーマとなって展開される。「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います」(18節)と。ここから被造物へも視野を広げていく。
 おそらくここの文章で、留意すべきなのは、「被造物」と「わたしたち」が区別されるのか、重なっているかではないだろうか。「被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです」(20-21節)。イエス・キリストと結ばれ、(神の)“霊”を受けている点で「わたしたち」が特記されるとき、被造物は区別されるのであろうが、しかし現実の人間としては、まさしくこの被造性に服していることは当然である。
 老い、病気など、だれにもやってくる体の限界、とりわけ今年経験している世界規模の感染症拡大などは、虚無に服し、滅びへの隷属に服している被造物の否応なしの姿を顕在化させている。それがどんなに抗いがたい事態であっても、それにもかかわらず希望があることに、パウロは目を向けさせてくれる。被造物にも属する人間でありつつ、神の霊を受けている我々は、被造物すべてが「共にうめき、共に産みの苦しみ」(8・22)を味わう中に、自らも置きつつ、「体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んで」(8・23)いるのである──今日、実感を新たにさせている自覚ではないだろうか。
その希望のよりどころは、きょうの福音朗読と第1朗読のイザヤ書が示す神のことばにほかならない。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

救いを待ち望む
 すべての人類はキリストの贖いを待ち望んでいますが、実はこの世界も救いの完成の時を待ち望みながらうめいています。「新しい天と地」が到来する時まで、すべての被造物は苦しみのうちに贖いを待ち望んでいるのです。
 使徒パウロは次のように教えています。
 「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。……被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。……わたしたちは、このような希望によって救われているのです」(ローマ8・19ー24)。

岡田武夫 著『希望のしるし――旅路の支え、励まし、喜び』「第4章 救いへの招き」本文より

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