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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2020年12月25日  主の降誕 (日中のミサ)  (白)  
言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た(ヨハネ1・14より)

主の降誕 
フレスコ画  
ギリシア ミストラ ペリブレプトス教会 14世紀

 天使の賛美の光景が大きく、色彩も華やかに描かれている降誕図のイコンである。中心にいる幼子イエスによって、闇の世界の奥深くに光が宿った神秘が表現されている。
 イエスはベツレヘムの洞窟でお生まれになった……これが古代末期からとくに東方での描き方の基本であった。もちろん、洞窟で生まれたとも書かれていないのだが、このイコンのように、東方では誕生の場所が岩山の中の洞窟として描かれるのが慣例である。ベツレヘム地方特有の洞窟住居が背景にあってのもので、その上で、2世紀末頃成立したとされる『ヤコブ原福音書』の記述が表象の源となった。この聖書外典福音書は、イエスの誕生に先立つ、マリアの誕生からヨセフとの結婚、そしてイエスの誕生に至る伝説的な物語を含み、その後のマリア崇敬を支え、マリアの生涯の諸場面を描くイコンの源ともなっている。これによると、マリアはベツレヘムの洞窟でイエスを産むのである。
 このイメージは、主の降誕・日中のミサの福音朗読箇所=ヨハネ福音書1章1-18節の内容とも相まって深められていったものと思われる。「言(ことば)の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている」(1・4-5)、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た」(1・14)──これらのことばの味わいをこのイコンに重ねてみよう。
 下のほうに部分的に見えるだけだが、(向かって)右側には、憂いを帯びた表情で座り込むヨセフがいる。降誕の出来事が人にとって不可解で不思議であることを示すものと思われる。そして(向かって)左側には、幼子の湯浴みをする女性たちの姿も描かれている。これも『ヤコブ原福音書』が発端となっている。同福音書で、助産婦からイエスの処女からの誕生を聞いたサロメという名の女性がこのことを疑うと、罰として手が焼けてとれそうになる。しかし、神に嘆願して幼子イエスを抱き抱えると癒されるという逸話である(荒井献 編『新約聖書外典』講談社文芸文庫、参照)。これが、イコンでは、二人の女性(乳母)が幼子を水盤で水(湯)浴びをさせる光景として描かれ、図の下部に配置されることが通例となっている。このイコンのように、一人がイエスを抱え、一人が水を注ぐという構図が多い。これらの人物群は、ヨハネ福音書の「暗闇は光を理解しなかった」(5節)、「世は言を認めなかった」(10節)、「民は受け入れなかった」(11節)といった反応を踏まえつつ、やがては御子を受け入れるようになる人々(12節参照)を予告するものかもしれない。
 構図の中央はやはり幼子とマリアがいる。幼子イエスは白い衣で包まれ、さらにひもで縛られているように描かれている。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(14節)といわれるときの、「肉」は、すなわち地上の有限的存在の制約の中に生まれたことを意味していよう。幼子をろばと牛が覗き込んでいる。これはイザヤ書1章3節の「牛は飼い主を知り、ろばは主人の飼い葉桶を知っている」という文言をもとに、牛とろばは、ユダヤ人も異邦人も含め万人が主を知るようになったことを示す、東西の降誕図でもっとも共有されている図像要素である。マリアは産後の疲れの中で横たわっている。人間である母親として人間である子を産んだことの象徴である。マリアが幼子と反対側のほうを見つめているのは、神の子の降誕の神秘を前にした畏れを示すものとも考えられる。
 上のほうを見ると、岩山の上の部分は天からの光を受けて白く輝いているようである。岩山の洞窟の暗さと対照的である。降誕の出来事を覗き込む天使たちもいれば、天上から青く差し込む光、あるいは聖霊の象徴を見つめている天使たちもいる。(向かって)左側には天からの光を仰ぎつつ、白馬に乗って駆け上がってくる三人の男たちがいる。これは、主の公現に読まれる東方から来る学者たちのエピソードの先取りだろう(マタイ2章1-12節)。この岩山全体はいわば世界そのものの象徴であり、その奥深くの神秘の出来事として、幼子の誕生があった。そして世界の果てまですべての人が神の栄光の現れとして知ることになる出来事である。それは、まさしく神の言(ことば)の受肉、小さな、人間としての制約を完全に身にまとって人となって生まれてきたことをあかしする。「地の果てまで、すべての人がわたしたちの神の救いを仰ぐ」(イザヤ52・10)時の訪れである。第2朗読箇所のヘブライ書(1・1-6)の中で、「神はその長子をこの世界に送るとき、『神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ』と言われました」(6 節)とあるが、その通り主の降誕は、天使たちの礼拝を受けつつ実現している。「御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れ」(3節)であり、「恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた」(ヨハネ1・17)のである。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

1 聖ヨセフの信仰

 何がヨセフの生涯を支え導いたのか、と考えてみれば、それは夢の中で彼に告げられた主の言葉、神の導きでありました。主の言葉、神の導きを信じて歩むことがヨセフの生涯でありました。
 ヨセフは不言実行の人、神のみ言葉に従って誠実に生き、自分の役割を忠実に果たして静かに地上の生涯を終えた人でした。わたしたちは聖ヨセフの信仰の生涯に倣って生きなければならないと思います。


岡田武夫 著『希望のしるし――旅路の支え、励まし、喜び』「第1章 キリストの光を証しする」本文より

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