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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2021年07月18日  年間第16主日  B年(緑)  
キリストは、……十字架によって敵意を滅ぼされました(エフェソ2・15-16より)

十字架のキリスト 
エヒターナハ朗読福音書外装 
ドイツ ニュルンベルク ゲルマン国立美術館 10世紀

 きょうの表紙作品は、直接には第2朗読箇所であるエフェソ書2章13-18節から、とくにその15-16 節「キリストは……十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」にちなんでいる。
 ここから十字架のキリストを描く中世の図像作品に注目する。この作品は、10世紀、神聖ローマ帝国を創始したオットー朝時代の代表的工芸作品でもある典礼用朗読聖書の外装である。中央にはキリストの十字架磔刑を描く象牙板の浮彫り、周囲の金板の浮彫りがある。縁取り部分はエマイユ・クロワゾンネという手法でデザインがなされており、宝石・真珠が嵌め込まれている。この高貴さ、高価さのうちに、福音書に対する尊重の気持ち、とりわけ十字架上のキリストに対する礼拝心が伝わってくる。
 十字架のイエスを見ると、その両脇には、後に定型要素となるマリアと使徒ヨハネの姿はない。向かって左側には、イエスの脇腹を槍で突き刺す兵士がいる。ヨハネ19章34節にちなむもので、彼の名を「ロンギヌス」と呼ぶ伝統がある。向かって右側には酸いぶどう酒を海綿に浸してイエスの口元に差し出す人がおり、「ステファトン」と呼ぶ伝統がある。この人については四福音書とも記しているが、多様である(マタイ27・48とマルコ15・36 では、居合わせた人々の一人が、海綿を葦の棒で差し出す。ルカ23・36では兵士が「酸いぶどう酒を突きつける」と記す。ヨハネ19・29では人々が海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出す)。酸いぶどう酒は、兵士の飲み物として、気力回復効果があったという。それが十字架刑に際して使われたのは、受刑者の気力を保つことで、逆に苦痛を長く持続させるという意味にもなったようである。これは、受難を際立たせるものであろう(一般に、しっかりと棒をイエスの口元まで突きつける形で描かれることが多いが、ここでは海綿のついた短い棒をイエスのほうに少し掲げている程度にとどまっている)。
 ロンギヌスが、イエスの脇腹を突き刺すということも、まさしく一種のとどめであり、十字架死の確定を強調することになるが、ヨハネ福音書の記述にある通り、そこからすぐに流れ出た「血と水」が、救いの象徴、すなわち聖体と洗礼を暗示するものと解釈されるようになる。こうして、この十字架の死のうちに、キリストの受難を通して新たないのちが始まるということが、鮮やかに示されるようになる。
 さらに他の要素が、この十字架磔刑図の宇宙論的視野を示す。イエスの両腕の上のほう、右上の隅と左上の隅に描かれる、太陽と月の形象である。それぞれに顔を覆うような布を持っている。これは、十字架で息を引き取る瞬間について、「昼の十二時に、全地は暗くなり」(マタイ27・45など)といった叙述をヒントにした定型要素と考えられる。太陽と月が顔を隠すということは、太陽も月もともに神々として信じられていた宗教観が当時あったからで、それらが顔を隠すほどのもの、すなわち、いかなる天体に関する神格視をも超越する、神の働きがイエスの十字架において実現しているという意味を強調する要素である。
 こうした宇宙論的視野を示すもう一つの表象は、イエスの足の下に描かれるテラ(ラテン語で地)の擬人化表現である。地を支配することになる主イエス・キリストの十字架の意味がこうして照らし出される。十字架の背後は金板に浮彫りが施されている。上と下の中央よりの4箇所には、4福音記者を示す図柄があるほか判然としないが、図解資料によると、楽園の四つの川(創世記2・10-14)が描かれているらしい。黙示録では、新しいエルサレムでは、「神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川」(黙22・1)が言及されている。創造の始めに言及される四つの川はもちろん終末に訪れる永遠のいのちの予型である。ちなみに、黙示録では新しいエルサレムの城壁の土台石が種々の宝石や真珠でできていることが記されている(黙21・19-22)。この外装の宝石や真珠も単に豪華にするための装飾材というだけでなく、神の国の完成の象徴として構成されているのである。キリストの十字架によって実現された救いの完成を展望するという内容豊かな外装であることがわかる。
 さて、エフェソ書は、「キリストは、……、十字架を通して(ユダヤ人と異邦人の)両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」(エフェソ2・15-16)と語る。ここでは、ユダヤ人と異邦人との和解・一致という地上レベルのことだけでなく、両者が一体となって、神と和解させられた、一致させられたということが重要である。キリストは人類を神と一致させることによって、互いをも一つにした。その意味合いは、宇宙万物のあらゆるものに対するキリストの役割でもある。究極的にたどりついていくべき永遠の楽園への展望を含む十字架のキリスト像を通して、キリストによる救いの神秘を黙想することができよう。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

何によって
 人間は、生きるために自分を超えた何ものかを必要とする。その自分を超えたもののために、人間はまた死ぬことができる。以上のことが今まで述べてきましたことの一つの結論です。
 問題は、「私はそのために死ぬことができると断言し得る、私を超えたもの、それをどこに見いだすか」ということです。

奥村一郎 著『奥村一郎選集──第6巻 永遠のいのち』「第5章 神は死せり」本文より


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