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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2021年07月25日  年間第17主日  B年(緑)  
イエスは座っている人々に、欲しいだけ分け与えられた(福音朗読主題句 ヨハネ6・11より)

五千人を満たすパン  
フレスコ画 
イタリア ペルージヤ モンテリピド修道院 16世紀


 表紙絵を見る前に確認しておきたいのは、B年がマルコ福音書を中心に読む年とはいえ、きょうの年間第17主日から第21主日までは、ヨハネ福音書の6章が続けて読まれていくことである。マルコが最も短い福音書であるために、ヨハネが補完的な役割をしているという意味もあるだろう。しかし、前後の主日で読まれるマルコの箇所と無関係に、ヨハネの6章が挿まれているわけではない。先週の福音朗読箇所マルコ6章30-34節にすぐ続く35-46節は、まさしく五つのパンと二匹の魚で民を満たすというエピソードになっている。
 同じエピソードをきょうはマルコからではなく、ヨハネ6章1-15節によって読むことで、マルコからヨハネへの切り換えを実にスムーズに行っている。ここに配分の妙がある。マルコの流れで、このいわゆるパンの増加の奇跡に至るところで、続くヨハネ6章の朗読を通して、その出来事を深く説き明かしつつ、「わたしが命のパンである」(ヨハネ6・35)とイエスが自らをあかしする内容へと転じていくのである。
 これから8月の間に読まれていくヨハネ福音書の6章の説教の中で、イエスは自らを天から降った命のパンであると告げる。そこからさかのぼれば、五つのパンと二匹の魚による“奇跡”は、イエス自身の存在が、多くの人々の心の飢えを満たすものであり、それを上回るほどに豊かな命の源なのだということを示していると考えることができるようになる。
 さて、表紙絵は、16世紀の修道院を飾る壁画(フレスコ画)で、おびただしい群衆の中央にひときわ輝くようにイエスが描かれている。人々のいる後景の前にイエスの近くにも弟子がおり、前景においても弟子たちがいる。この絵では、中央にいる厳かなイエスの姿よりも、むしろ、人々の中に入って、かいがいしく働いている弟子たちのほうが生き生きと感じられる。イエスから渡されたパンを、さまざまな表情をした、そして、女性の数の多さも目立つ人々に手を差し伸べながら配っている弟子たちである。遠近法によって描いているところに、映画を見ているように、この出来事の現実感が伝わってくるだろう。
 ちなみに同様の5000人に食べ物を与える話は、4福音書で共通に出てくるというところも意味深い。マタイ14章13-21節、マルコ6章30-44節、ルカ9章10-17節、そしてきょうの箇所ヨハネ6章1-14節である。満たされた人は5000人、五つのパンと二匹の魚も同じ(ヨハネでは「大麦のパン」で、余ったパン屑が12かごであるところもそうである。パンと魚の上にするイエスの祈りについては、マタイ、マルコ、ルカでは賛美の祈り、ヨハネは感謝の祈りとする。ところで、似た話で、満たされた人が4000人、七つのパンと小さな魚が少し、余ったパン屑は7かごという話がマタイ15章32-39節とマルコ8章1-10節にある。この両方でイエスの唱える祈りは感謝の祈りとされている。
 同じ一つの出来事であったと思われるものが、4福音書を通してしかも変奏曲的にも伝えられているところに、教会にとってのこの出来事の意味深さを見ることができる。それは、言うまでもなく、キリスト者にとって生活の根幹に置かれるところの感謝の祭儀(ミサ)、すなわち聖体の秘跡の典礼祭儀とのつながりにおいて、この出来事が顧みられ、いつもそのように味わわれるものだからである。
 そして、この出来事は、奇跡、すなわちイエスのすることの素晴らしさにのみ目を向けようとしているのではない。弟子たちの働きが重要である。マタイ14章19節でも「パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた」と弟子の役割を明記している。究極の救いの出来事を指し示すような、イエスによる恵みの授与は、同時に、イエスの使命を分有する弟子たちの活躍ぶりをいっそう浮かび上がらせるのである。
 これらの出来事の中で、パン、魚など食べ物の上にイエスが行った感謝の祈り、ないし、賛美の祈りは、行為としては、今の感謝の祭儀における奉献文につながっている。このときの食べ物の恵みは、明らかに感謝の祭儀において我々が受ける恵みを暗示している。現在の教会でミサを司式する司祭の役割は、このときの弟子の役割を受け継いでいる。
 その意味で、この絵に関しては、前景の人々が、この絵を見る今の我々の場との接点になっているともいえる。それは、我々の教会共同体のどこにでも、キリストが現存し、働いているということのあかしでもある。我々には、精一杯、司牧者として奉仕している司祭方の姿がいつも気になるが、その奥には、いつもイエス・キリストがおられるということへの信頼が、この絵のこの“奇跡”の場面にみなぎっている。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

五つのパンと二匹の魚
 イエスの周りには多くの人が集まっていました。貧しい人、病気の人など大勢の群衆がイエス様のことばに聞きほれていたが、日が暮れて皆空腹になった。五千人の人が集まっていて、食べる物は五つのパンと二匹の魚しかいなかった、という話(マタイ14・13-21など各福音書参照)です。これが「教会」ではないか、とわたしは思います。

岡田武夫 著『信じる力――大切なあなたに贈ることば』「第4章 ともに旅する教会」本文より

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