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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2021年08月29日  年間第22主日  B年(緑)  
わたしが命じるとおりにあなたたちの神、主の戒めを守りなさい。(申命記4・2より)

神の掟を受けるモーセ(右上)
金銀細工浮彫 ロレンツォ・ギベルティ作
フィレンツェ大聖堂 洗礼堂東側門扉 1425~52年

  フィレンツェで活躍した金銀細工師、彫刻家、建築家ロレンツォ・ギベルティ(生没年1378~1455)がフィレンツェ大聖堂の洗礼堂東側門扉に制作した金銀細工浮彫の一場面である。1401年に実施された制作コンクールで「イサクの犠牲」を制作。ブレネレスキの同主題の作品と争って選出されたことは美術史上でよく知られる出来事である。その後、1425年から1452年にかけて、洗礼堂東側門扉に旧約聖書から題材を取った10枚の浮彫パネルを制作。これは「天国の扉」と称されることになる。モーセが神から律法を受けるところを右上に描き、下にはイスラエルの民の長老たちを多様に描くこの浮彫は、きょうの第1朗読箇所(申命記4・1-2、6-8)との関連で選ばれている。「イスラエルよ、今、わたしが教える掟と法を忠実に行いなさい」(申命記4・1)という神のことばを、このようにして味わってみたい。
 朗読箇所は申命記であるが、場面の出来事そのものが述べられているのは、出エジプト記19章から24章までである。このあたりを読んでみると、モーセの仲介者ぶり、すなわち、主である神と民の間を結ぶ仲介者である姿が浮彫りにされてくる。出来事の経過を整理してみると、まず、19章3-6 節で「神のもとに」と記される形で、シナイ山にモーセが登っていく。そこで、主がモーセに、民に告げるべきことを語る。7-8 節でモーセがそれを民に告げると、民は「主が語られたことをすべて、行います」と言う。9 節で、民の言葉を取り次いだモーセに主は言う「見よ、わたしは濃い雲の中にあってあなたに臨む……」。
 さらにモーセは民の言葉を取り次ぐ。その後も交互のやりとりが、モーセを介して続く。そのなかでも20章2-17節の神の言葉は「十の戒め」、つまり「十戒」として有名である。これを筆頭に、20章22節から23章末尾まで律法が告げられていく。契約に伴う根本的な律法という意味でここの部分には「契約の書」という表題が付けられている(『新共同訳』20章22節の前)。そして、いよいよ24章では契約の締結の場面となる。契約締結のときには、主の戒めと教えが石の板に記されて、それがモーセに授けられるのである(24・12)。
 表紙の浮彫では、右上で、雲の中から神の右手だけが差し出されて、モーセに板を渡している。金細工浮彫で、モーセの姿も背景と融合しそうではあるが、それでも厳粛な面持ちで板を受け取るモーセの姿は印象深い。その足元で斜面に伏すような姿勢で描かれているのはモーセの後継者となるヨシュアといわれる(出エジプト24・13で「モーセは従者ヨシュアと共に立ち上がった」と言及されている)。下の部分では、モーセと民の代表者たちだけでなく、女性も含めさまざまな人々が描かれているようである。細かな動きも描かれているが、それが何を意味しているかまでは残念ながら、判別できない。いずれにしても、ここで主である神と神の民イスラエルを仲介するモーセの姿をしっかりと受けとめておくことが大切であろう。
 神と神の民を結びつけ、神のことばを仲介するモーセの姿、そのあり方と使命を果たした方としてイエス・キリストを仲介者として見る見方は、新約聖書の大切な教えの一つである。単に人間である預言者としてだけでなく、イエス自身が神である神の御子であること、同時に、徹底して人となられた人間そのものでもあるというところに、キリストの神秘、そしてそれをよりどころとするキリスト教信仰の神秘がある。
 福音朗読箇所(マルコ7・1-8、14-15、21-23)の中の8節のことば「あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている」という指摘は、我々に「神の掟」とは何か、ということへの限りない問いを突きつけている。福音書の中では旧約の律法を前提に、かつ律法主義的な考え方と対決する形で、イエスは神のみ旨をあかししていったが、人間の言い伝えは、どの民族にも伝統や文化、国家や法の体制、倫理伝統、社会慣習など、さまざまな関連の中に存在する。我々はそれらにとりまかれているといってよい。その中で、神の掟、神のみ旨がどこにあるかをたえず問いかけ、問い求めるよう,呼びかけられている。
 浮彫の中のモーセの姿のように、それを我々はただ天(神の栄光の次元)から受け取らなくてはならないものだろう。父である神の右の座におられる御子キリストを仰ぎ、その示す道を見ていくことである。我々自身が、そうして、人々に対して、天のキリストへの架け橋、仲介役となる使命を与えられているのではないだろうか。ミサの閉祭のことば「行きましょう。主の平和のうちに」は、簡潔ながらも、キリスト者の使命の深い意味合いを告げている。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

イエスと人間
 イエスの活動していたころには、律法の微(び)に入り細(さい)にわたる解釈を専門とする律法学者と呼ばれる人々、律法の厳格な文字どおりの遵守(じゅんしゅ)を要求するファリサイ派と呼ばれるグループの人々などが、特に勢力を得ていました。彼らのほとんどは、モーセの律法の細則、例えば食事の前に手を洗うとか、ある種の動物の肉を食べないということを外面的に文字どおり実行することによって正しい人間であり得ると思いこんでいたのです。
オリエンス宗教研究所 編『キリスト教入門――生きていくために』「第3講 イエスは神の国の福音を告げる」本文より

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