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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2021年10月10日  年間第28主日  B年(緑)  
知恵の手の中には量り難い富がある(知恵の書7・11より)

聖なる知恵であるキリスト
モザイク
イスタンブール ハギア・ソフィア大聖堂 9世紀

 現在、トルコ共和国の都市イスタンブールのハギア・ソフィア大聖堂にある聖なる知恵としてのキリストのモザイクである。世界史のおさらいだが、イスタンブールは、いうまでもなくキリスト教史上は、コンスタンティノポリス(英語読みコンスタンティノープル)のことである。紀元前7世紀にはギリシア人植民市ビィザンティオン、紀元後3 世紀初めにはローマ帝国都市ビザンティウムになっていた町が、コンスタンティヌス大帝によって330 年に自らの名前からなる首都コンスタンティノポリスとなった。以後、長くビザンティン帝国(東ローマ帝国)の首都として重要な役割を果たすが、1453年、オスマン帝国によってビザンティン帝国が滅び、以来イスタンブールという名前の都市となっている。ハギア・ソフィア大聖堂は、コンスタンティヌス大帝在位中の325 年(第1ニカイア公会議の年)に建設が始まり、360 年に献堂された。6 世紀、スティニアヌス大帝の時代に一度焼失した(532 年)あと、537 年に再建された。
 このモザイクは9 世紀に制作されたもので、聖なる知恵であるキリストの足もとには当時の皇帝がひざまずいているという構図のうちに、皇帝は、知恵であるキリストを至上の君主としてあがめつつ、統治するといういわば政治神学が表現されていると見ることができる。きょうの第1朗読箇所になっている知恵の書7章7-11節に引き寄せて、“知恵としてのキリスト”をイメージしてみると、福音朗読箇所マルコ10章17-30節を味わう視点にもなるだろう。
 ちなみに、知恵の書では、朗読箇所を含む中心部(6-9章)においてソロモンが登場する。6章22節から8章全体まで、ソロモンが「わたしは」と一人称で知恵の特質を語る文脈である。朗読箇所冒頭の「わたしは祈った。すると悟りが与えられ、願うと、知恵の霊が訪れた」(知恵7・7)は、ソロモンの言葉として告げられている。そして9章は知恵を求めるソロモンの祈りである。
 このようなソロモンと知恵のつながりは、列王記上3・4-15のエピソードに基づいている。夢の中で、神は「何事でも願うがよい」と語りかけると、ソロモンは善悪を判断できる心を求めた。長寿でも富でも敵の命でもなく知恵を求めたことを神は喜び、恵みと栄光を約束するのである。このエピソードが朗読箇所の知恵の書7章7-11節に反映されていることはいうまでもない。真の統治者は、神の知恵を求め、その知恵の霊によって支配するものだ、という聖書的君主観の典型がここに示されている。
 朗読箇所の一節「知恵に比べれば、富も無に等しい」(知恵7・8)の言葉が、福音朗読箇所にある財産のある人に向けられたメッセージと響き合う。「行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる」(マルコ10・21 )と、神の国に生きるものがとるべき富に対する態度が鮮やかに告げられている。神のみ心に従って生きること、神の愛を貧しい人々に行動で示すことが、神の前で価値あること(真の富)が、語られている。そのような選択をさせ、行動を選びとるように赴かせる力が、知恵の書でいわれる「知恵の霊」なのであろう。権力への執着、地上の富への執着に傾きがちな人間の本性は、いつの時代も露呈されるものである。そのような傾向性に屈伏することなく、貧しい人々の叫びに耳を傾け、弱者のことを真っ先に慮るような公共精神に満ちた統治のためには、神の知恵に服する態度が必要であろう。その意味では、このような政治神学の視点を喪失しがちなのが近代・現代であるのかもしれない。
 きょうの福音が示す、財産のある男とイエスとのやりとりは、時代を超えて具体的かつ普遍的な教えがある。「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」(マルコ10・25)と、嘆息が聞こえそうな、ある意味ではユーモアも含む格言的なことばは、やはりイエスが聖なる知恵の方であることをあかししているに違いない。知恵としてのキリストにより頼みつつ生きるということを、具体的な社会生活の中で考えていく必要は一人ひとりにある。そして、思い出さなくてはならないのは、キリスト者は入信によって(洗礼と堅信によって)、聖霊を受けているということである。聖霊を受け、「知恵と理解、判断と勇気、神を知る恵み、神を愛し、敬う心」(カトリック儀式書『成人のキリスト入信式』による堅信の儀の中の式文より)を授かっているということである。神の国にふさわしい生き方を選ぶ知恵は、一人ひとりに注がれていることを思い起こしながら、さらに、ミサがこのことをいつも気づかせ、その心を養うものであることを、きょうの聖書朗読と、このモザイクとともに、より一層深く確かめていくことにしたい。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

2.司教の按手
 まず按手について考えましょう。堅信と叙階の秘跡の時に、司教は秘跡を受ける人に按手します。それは教会の使命にあずからせるためのシンボルです。この秘跡を受ける人は、この使命を果たすことができるように、知恵と理解、判断と勇気、神を知る恵み、神を愛し敬う心という聖霊の賜物を願います。受堅者はキリストの証し人になります。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒言行録1・8)。

オリエンス宗教研究所 編『信仰を求める人とともに――キリスト教入信と典礼』「第4章 堅信の秘跡の豊かさ」本文より

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