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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2021年11月07日  年間第32主日  B年(緑)  
この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた (福音朗読主題句 マルコ12・43より)

やもめの献金
モザイク 
ラヴェンナ サンタポリナーレ・ヌオヴォ教会 6世紀

 きょうの福音朗読箇所は、マルコ12章38-44節、そのうち41-44節は、「やもめの献金」という表題で知られるエピソードで、マルコのほかにルカ21章1-4節にも記されている。両方ともイエスの語ることばはほぼ同じだが、若干の違いがある。ルカでは金持ちの献金の様子しか述べられないが、マルコでは、まず、群衆が賽銭箱に金を入れる様子をイエスが見ていた、ということから話が始まる。そして、やもめの献金の様子を見て、それを称賛することばを述べるのだが、このことばがルカではだれに向かって言ったものかはっきりしない。それに対して、マルコでは、「イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた」(43節)と、はっきりと弟子たちに向けてのメッセージだと記している。
 もちろん、そのことばの中で、やもめのことが褒められているともいえるので、それは、間接的にやもめに対するメッセージである、読者である我々が感じることは自然だろう。
 このエピソードについての画像作品としては、このラヴェンナのモザイクが最もよく知られているものである。ここでは、賽銭箱に献金するやもめに向かって、イエスが祝福のしぐさをしている。そして、その後ろに一人の弟子だけが描かれている。マルコの叙述の持つイエスの位置や視線の動きを想像するなら、このモザイクでは、やもめに対するイエスのまなざしと祝福のしぐさに特化した作図であることがわかる。もちろん、やもめの行為を見つめるイエスのまなざしも、そのあと発せられていることばの内容からもイエスの温かなまなざしは感じられるので、いわば福音書の“行間を読み”、黙想している作品といえるかもしれない。
 ところで、サンタポリナーレ・ヌオヴォ教会のモザイクは、福音書のさまざまな場面を描くが、一つの特徴として、たいてい登場人物たちが、真正面に顔を向けている。平面的に人々が並ぶように描きつつ、その一人ひとりの表情や髪形など個性を表現しようとしていることも特徴的なのだが、不思議とそこが特に気になってくる。やもめが顔をこちらに向けているところには、どのような意味合いが感じられるだろう。イエスを見て、イエスの求めを感じ取って、献金しているというより、自分自身の心の動きに従って献金している、その自発的な能動性が強調されると言えないだろうか。
 そして、このモザイクの中のイエスの顔は、やもめの方に向いているようでもあり、我々のほうを見ているようでもある。その微妙な方向性が大きくものを言っているようである。少なくとも身体は、ほぼこちらを向いている。つまりマルコが「弟子たちを呼び寄せて言われた」という語る部分は、このイエスのまなざしとその姿勢とともに味わうほかはない。イエスの後ろにいる弟子が、 その弟子たちの代表として描かれているとも言える。イエスの顔は彼のほうに向かっていないのだが、この弟子は手をイエスのほうに向けて、そのことばを受けとめているようである。他方、イエスの身体の姿勢から、ここはイエスが我々のほうに向かっているととらえていくことが、この福音の内容を身近に引き寄せてくれそうである。我々の生き方を、我々に向かって問いかけてくるのである。
 マルコ福音書の叙述とモザイクの描き方の比較から黙想を広げてみたが、福音朗読箇所と第1朗読箇所である列王記上17章10-16節を併せて読んでみると、もう一つのことが浮かんでくる。エリヤの訪れたとき、そこでサレプタのやもめは、「あなたの神、主は生きておられます」(列王記上17・12)と、神の存在とその生きておられるさまを察知し、それゆえに、わずかな小麦粉と油から小さなパン菓子を作り、エリヤに提供する。この姿を心に留めて、福音書におけるやもめを見ると、イエスが見ておられるところで、持てるものをすべてささげたやもめの態度には、イエスが神の子であること、まことの神であること、その訪れを感じ取り、そのためにすべてをささげる行為が生まれたのではないかとも感じられてくる。相手の存在への思いなくしては、ささげる行為は出てこない。やもめの行為の前提に、あるいはその根源にある、イエスの訪れの意味を、まず真っ先に考えてもよいのではないだろうか。福音朗読箇所の前半で触れられる律法学者の様子や、たくさんの献金を入れる金持ちと、やもめが違うのは、神の御子の訪れに対する尊敬と期待と喜びをもっての歓迎の気持ちなのではないだろうか。
 いずれにしても、我々の日頃の生き方--ミサ献金、教会の諸活動に対する支援・協力とともに、その根底にあるべき御父と主イエスに対する奉献の姿勢も問われてくるだろう。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

やもめの家を食い物にし
 「やもめ」と「孤児」は、イスラエルが半遊牧生活を送っていた時代から、虐待してはならないとされてきた。地縁ではなく血縁に基づく部族社会では、他から嫁いできた妻とその子どもは、夫が死ねば血縁が薄くなったので、容易にいじめの対象となった。それゆえ、「寡婦(かふ)や孤児はすべて苦しめてはならない」(出エジプト22・21-23参照)とある。

和田幹男 著『主日の聖書を読む(C年) ●典礼暦に沿って』「年間第三十二主日」本文より

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