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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2021年12月19日  待降節第4主日  C年(紫)  
わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは……(ルカ1・43より)

マリアのエリサベト訪問
テンペラ画 ロヒール・ファン・デル・ウェイデン作
ドイツ ライプチヒ美術館 1432~35年

 ロヒール・ファン・デル・ウェイデンとは1399年または1400年に生まれ、1464年に没した画家で、初期ネーデルラント派を代表する一人。写実主義様式を身につけ、さらに洗練された優雅さを加えた独自な画風を打ち立てたといわれる。キリストの受難に伴うマリアの悲しみや、キリストの降誕におけるマリアの喜びを感情表現豊かに描き、当時の庶民の信仰心に強く訴える作品を残している。
 この画風が十分に示されているマリアのエリサベト訪問の画である。人物像、その表情、衣の襞(ひだ)がきわめて写実的に描かれている背景をなす植物、池のところにいる人物、後ろの教会堂、空と雲など、その描出力はすばらしい。遠近法で醸し出される空間の静けさ、マリアとエリサベトの表情にこめられている心理の奥行きなど、眺めているだけでいろいろと黙想に誘われるのではないだろうか。
 さて、きょうの福音朗読箇所は、待降節の朗読配分では、いよいよイエスの誕生に直接向かっていく内容になる。マリアのエリサベト訪問、単に「マリアの訪問」として記念される出来事である。福音書の叙述では、「ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した」(ルカ1・40)とあるが、ここでは、あえて、外で、しかも、道になっている。ここは、どうしてだろうか、一考してみるのもよいかもしれない。
 福音書の叙述では、エリサベトの胎内の子(洗礼者ヨハネ)がマリアの挨拶を聞いたときに「おどった」(ルカ1・41)とあり、続いてエリサベトが「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています」(ルカ1・42)と語る。我々が「アヴェ・マリアの祈り」で唱え続けている部分である。おそらく、この絵はここの数行が語る場面を描き出しているといえる。エリサベトの胎内の子の動きは、彼女のお腹にやさしく触れるマリアの左手が暗示している。そして、マリアを両手で迎えるエリサベトの左手もマリアのふっくらとしたお腹の上に載せているところに、祝福される御子の存在が暗示されているのである。
 このような身重の女性の姿の描き方自身がとても丁寧である。二人とも聖霊で満たされている者として味わうことができる。全身でマリアを体ごと抱えるかのように両手を差し伸べているエリサベトの、緊張感にも満ちた表情のうちに、神の御子の誕生の厳粛な意味が感じられる。天上からの光に照らされているかのようなマリアの清純な表情と眼差しもまた印象深い。しかも、この出会いは、単に二人の横の関係には終わらない。その胎内の子である洗礼者ヨハネ、そしてイエスが成し遂げたことを知っているルカ福音書は、エリサベトの、「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(ルカ1・42-45節より)という感嘆に示されている。二人ともに、神のみ旨によって、それぞれ使命を受けた存在である。マリアに対するエリサベトのことばには、当然に、神への賛美と信頼が含まれている。「どういうわけでしょう?」(43節)、「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(44節)。このことばのうちに、すでにマリアの胎内にいる御子の力が映し出されていると言えるかもしれない。
 そのことを黙想させてくれるのが、第1朗読箇所ミカ書5章1-4a節である。ここではベツレヘムの地に向かって「お前よ」と主は呼びかけ、「イスラエルを治める者」(1節)、「主の力、神である主の御名の威厳」(3節)を持つ者、「大いなる者」(同)、「まさしく平和」(4a節)である方が出ること、現れることを予告している。旧約において、到来する救い主がこのように告げられていたことを思い返すとき、救い主を待ち望む民の歴史を思い、その上で、イエスの誕生の出来事の意味を考えることができるよう。
 そして第2朗読箇所ヘブライ書10章5-10節では、キリストの生涯の意味の全体が回想されている。神の御心に基づいて、ただ一度かぎり、自分自身をささげたことによって、人間の贖い(聖化)が実現されたのである(第2朗読のヘブライ10章10節参照)。ミカ書が将来の到来を予告したとすれば、ヘブライ書はその生涯を終えて復活したキリストの地上の意義を考えている。すでにイエスの誕生、すなわち、神の御子の人間としての誕生のうちに、その最後の姿、死と復活による人類の贖いへの道が始まっている。
 ウェイデン描くマリアの訪問の絵がなぜ、屋外の光景の中で描かれているか。それは、世界そのものにとっての救い主の誕生を意味深く味わっているからなのではないだろうか。道の上で二人の女性が出会っているその道は、救いへの道である。その空間の広がりと爽やかさ、静けさのうちに、神の救いが世を包み始めていることのしるしを感じ取ってよいだろう。この透明な聖霊の息吹を感じ取りながら、主の降誕を迎えることにしよう。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

胎内のお子さまも祝福されています
 「急いで」は、物理的な意味ではなく、喜びとか情熱とか心の状態をいう。ここでは、老いた従姉妹の懐妊を喜んでいるの意。「胎内の子がおどった」(1・41、44)は、聖霊の働きがあったということであろう。

和田幹男 著『主日の聖書を読む(C年) ●典礼暦に沿って』「待降節第四主日」本文より

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