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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2022年2月13日  年間第6主日  (緑)  
貧しい人々は幸いである、神の国はあなたがたのものである(ルカ6・20より)

教えを告げるイエス
フレスコ画
ローマ ドミティッラのカタコンベ 4世紀

 C年の年間第6主日の福音は、ルカ福音書による「貧しい人々は、幸いである」の教えである。教えを語りかけている、古代教会の壁画に描かれたイエスの姿とともにこの「幸いである」のメッセージを受けとめていこう。
 この福音朗読箇所ルカ6章17、20-26節は、イエスの「平地の説教」を伝える。そのうちの20-26節が「幸いと不幸」についての教えである。マタイ福音書5章3-10 節の「山上の説教」の一部である「八つの幸い」のほうが、「真福八端」とも呼ばれ、「心の貧しい人々は、幸いである」ということばの難解さも相まって、より意味深い教えとして広く人口に膾炙している。(ちなみに、なぜ「真福八端」と呼ばれるのかを考えると、「端」は発端や端緒という熟語で遣われるように「糸口・始まり」の意味なので、「真の幸福の八つの始まり」の意味で言われているのだと思われる)。
 マタイの記す“八つの幸い”の教えに対して、ルカでは、最初の文が「貧しい人々は、幸いである」と明快である。ルカ福音書全体で主眼の一つとされる“貧しい人々にもたらされる福音”というテーマが端的に出ている。続いて「幸いである」と告げられるのは、「今飢えている人々」(21節)である。マタイでの同様のテーマは、「義に飢え渇く人々」(マタイ5・6)と言われていて、やや意味が難しいのに対して、ルカの表現は飢えている人々のことが普通に連想され、わかりやすい。
 次に「今泣いている人々」(21節)という表現はマタイには出てこない。マタイでは「悲しむ人々」(マタイ5・4)が出てくる。ルカでは、その「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる」(ルカ6・21)と告げられる。「笑う」という語が出てくるのが大変珍しい(新約聖書の中で「笑う」という単語が出てくるのはルカ福音書のここ21節と逆対応する25節だけである)。次に「人々に憎まれるとき……、あなたがたは幸いである」(22節)の部分は、マタイ5・11(「…ののしられ、迫害され、……悪口を浴びせられる…」と言葉は違うが、意味は対応しているといえる。
 全体として、「幸いである」のルカの表現は、とてもわかりやすく、親しみやすい。しかも、マタイのほうは、そのようなさまざまな人のことを挙げて、「天の国はその人たちのものである」あるいは「その人たちは満たされる」というように三人称的に語るのに、ルカでは、イエスはどのような人々にも「あなたがた」と呼びかけ、目の前にいるさまざまな状況の人々に対して語りかけるようになっている。ルカが強調しているとされる、イエス像の特徴、すなわち、人々のところに親しい方として現れた救い主であることが、一つはっきりと示されているといえよう。
 さて、この表紙絵は、キリスト教美術全体としては、初期のものにあたるカタコンベの壁画である。イエスの描き方も、まだ青年像である。同時に、若いながらも威厳をもって、弟子たちに語りかけていることが十分に感じられる。初期の美術におけるイエスの描き方は、まだ定まっていなかった。教師の姿を描くギリシア・ローマの美術伝統から借りてきた表象であり、しかも、青年の姿で描かれることに一つの特徴があった。実際、イエスは十字架でなくなったときは30代初めであったと伝えられるわけなので、十分、青年像で描かれてよいものであったともいえる。いずれにしても、群衆や多くの弟子の中におられるイエスの姿は、普通の人間としてイメージしてもよいものであろう。その中で、何かの輝きであふれているとしたら、それは、先週のテーマであるイエスにおける神の聖性と対応して、イエスの教えにおける律法をこえた力の魅力であるということになろう。
 ところで、きょうの福音朗読箇所で、イエスは、四つの幸いを告げているが、もう一つユニークなところがある。四つの幸いと対比される「四つの不幸」の教えがすぐ続くことである(6・24-26)。その対比も正確でわかりやすい。「富んでいるあなたがた」「今満腹している人々」「今笑っている人々」「すべての人にほめられるとき」という流れである。どちらでも「あなたがた」と呼ばれるので、ひとまず語りかけている相手が違うのだろうと考えてしまう。しかし、この教えが当時の人々に向けられた教えではなく、今現在の我々に向けられているメッセージであると捉えると、同じ「あなたがた」に告げられている後半の「不幸である」の教えが、今それを聞く「わたしたち」に対する鋭い問い返しであるのではないかと思われてくる。結局、いつくしみ深く、親しい方であるイエスのことばには、“あなたがたはどう生きているのか?”という厳しい問いかけが含まれている。親しさと厳しさを相含むところに、独特な威厳が生まれてくるのであろう。それが神の聖性の香りであるのかもしれない。この古代の壁画の中のイエス像にも、それは十二分に感じられる。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

幸いな人
 
最初の、「心の貧しい人」とはどういうことでしょうか。普通に「貧しい」といいますと、物質的な貧しさと、心の貧しさが考えられます。まず物質的、経済的な貧しさを考えてみましょう。イエスが話したとき、集まってきた多くの人は、ほとんど経済的に貧しい人々だったと思います。ではイエスは、そうした貧しい人々を励ますためにこう言ったのでしょうか。

オリエンス宗教研究所 編『はじめて出会うキリスト教』「第4講 幸いな人」本文より


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