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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2022年9月11日 年間第24主日 C年 (緑)  
悔い改める一人の罪人については、大きな喜びが天にある (福音朗読主題句 ルカ15・7より)
 
よい羊飼い
ローマ近郊で作られた彫像
パリ ルーヴル美術館 3世紀末
 
 羊飼いは、すでにキリスト教以前のギリシア・ローマ美術の中でも、命を導く神々の表象としての前身がある。特に死後の魂を平安のうちに守り、天に導くことという死後の永世を託する意味もあったという。あるいは、普遍的な人間愛、人類愛の象徴として羊飼いの姿が解釈された例もある。ローマのカタコンベ(地下墓所)や石棺彫刻に好んで羊飼いとしてのキリストが描かれているということを見るかぎり、そこには、死後の魂の救いに対する、当時の人々の憧れや希望が、死者の中からの復活を信じ、キリストによる救いの完成を待ち望むキリスト教的な信仰心と融合しやすかったことは容易に想像できる。きょうの福音箇所やヨハネ10章の教えが、そのようなイメージの源となって、造形芸術としても、また信者の意識の中にも牧者としてのキリスト像は定着していったのだとも考えられる。
 表紙に掲げた牧者像のキリストは、少年のイメージである。これがキリスト?と思われる方もいるかもしれない。後に確立する一般的なキリスト像とは、異なる面持ちだからだろう。しかし、一匹の羊(特に小羊)を、細心の気持ちをこめて自分の肩に担ぐ姿には、たしかに救い主の心を感じ取ることができる。この少年の姿にキリストを見ること、それは、古代美術の要素を受容しながら形成された初期キリスト教美術の歴史を学ぶという以上に、我々が身の周りの人々の生きる姿のうちに、キリストの心の働きを見ること、神の救いの計らいを見ることを促すものではないだろうか。ナザレのイエスが、待ち望まれた救い主であったことを証言する福音書にあらためて虚心に耳を傾けてみよう。
 普通、良い羊飼いのテーマというと、復活節第4主日に毎年読まれるヨハネ福音書10章のイエスの説教が思い浮かぶ。父である神、またはイエス自身が羊飼いに譬えられて、羊の群れへの永遠の導きを約束するところである。しかし,きょうの福音朗読箇所であるルカ福音書15章1-10節(または1-32節)はやや違う文脈である。そこでは、感情豊かな羊飼いの姿が浮かんでくる。見失った一匹の羊を助け出すまで捜し回り、その羊を見つけて家に帰ったとき、家の者に一緒に喜べというのである。
 このエピソードは、悔い改める罪人を神は喜んで迎えてくださるという主題のもとに語られている。しかし、譬(たと)えの中では、一匹の羊が自ら悔い改めているわけではない。むしろ、必死でその一匹を捜し求め、見つけると大喜びをするというように、羊飼い自身が心を揺らし、感情をむき出しにしている。悔い改めるという主題が、我々人間に悔い改めなくてはならないと戒めるような教えとして展開されているわけではなくて、むしろ、どんな一匹も、すなわち、どのような一人の人間さえ、神は放っておかれない、見捨てない--そんな神を知ることが大事だと言われている。
 そのような福音の受けとめ方に示唆を与えてくれるのが第1朗読箇所である。ここは、出エジプト記32章7-11、13-14節。エジプトから導き出された民が堕落し、主である神を忘れて、若い雄牛の鋳造を造り、それにひれ伏していけにえをささげていたところ、神は罰として民を滅ぼそうとされた。しかしそこで、モーセが主自身に、民を救おうとしたかつての約束を思い出させる。すると、「主は、御自身の民にくだす、と告げられた災いを思い直された」(14節)のである。ここも、神の思い直し、いってみれば、神の側の回心が触れられている。
 神が謹厳で怖い神なので、人はただ自分を改めて悔いるだけだと教えられているわけではない。きょうの福音と旧約の箇所が示すのは、神が生き生きと感情をもち、思いさえ変える方であることをまざまざと示している。そのような神であることが、なによりも人の回心を引き起こすのである。人間が自分の意志で、悔い改めることなどできず、常にそこには神からの働き、呼びかけ、恵みが作用している。神ご自身が心を動かす方であるからこそ、人も心を変えられる、神に向き合えるという、神と人の関係性の不可思議さが根本的な主題なのではないだろうか。
 われわれがミサで出会うのも、神の民の祈りの気持ちや熱意に生き生きとして対応してくれる、情の豊かな神、人情味あふれる神である。そのような神、そしてキリストの姿、初期の教会の人々は生き生きと感じていたのであろう。この姿の上に、第2朗読箇所である一テモテ書1章12-17節のことばを重ね合わせてみよう。
 「わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。永遠の王、不滅で目に見えない唯一の神に、誉れと栄光が世々限りなくありますように、アーメン」(17節)。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

 家畜の中でいちばん人間に頼る動物は、羊なのだそうです。犬だと、野生に戻って野良犬になりますが、羊はそういうことがまったくできません。生まれ出ることから、餌や飲み物などすべて人間が世話してやらないと、死んでしまうそうです。したがって羊は、羊飼いに完全に依存していると言えます。

ミシェル・クリスチャン 著『聖書のシンボル50』「22 神の小羊」本文より

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