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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2022年10月30日 年間第31主日 C年 (緑)  
イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った(ルカ19・4より)

ザアカイ 
ライヘナウの朗読聖書挿絵
ドイツ ヴォルフェビュッテル アウグスト公図書館 10世 

 この表紙絵は、きょうの福音朗読箇所(ルカ19・1-10)のエピソードにちなんで、いちじく桑の木に登るザアカイ(ルカ19・4参照)を描くもの。おそらく、朗読本文の初めにあるラテン語のイン・イロ・テンポレ (In illo tempore)――日本の朗読聖書で「そのとき」にあたる――の頭文字Iを絵にした、いわゆる「頭文字(イニシャル)装飾」を兼ねた絵と考えられる。
 絵は、エピソードを想起させる最小限の要素が描かれるのみである。木はすでに「I」を表現するために文様化されている。ザアカイがこの木を上る様子は、両手や両足の動きもなかなか細かく描かれている。彼の目はあくまで真剣である。その動作を含むザアカイの態度は、神に近づこう、キリストに近づこうとする一途な気持ちをよく感じさせる。信仰宣言という軸が絵の構図の中心線に置かれていて、はっきりと浮かび上がってくる。背景全面に塗られた紫色にも意味が込められているとするなら、これは、やはり神の国の神秘を暗示するものと考えたい。 
 ザアカイに関するこのエピソードは、ルカ福音書だけが伝えるものだが、内容もとても印象深い。ザアカイは徴税人で、ユダヤ人の社会から疎まれる存在だった。徴税人はしばしば規定額以上の税を取り立て(ルカ3・12参照)ていたからで、徴税人レビの召命の話(ルカ5・27-32。マタイ9・9-13では「マタイ」の名で出てくる)が示すように、彼らは罪人と同列にみなされ、差別されていた。ザアカイも、周りの人たちから「あの人(イエス)は罪深い男のところに行って宿をとった」(ルカ19・7)と言われているほどである。
 ザアカイは、そのような「徴税人の頭で、金持ちであった」(同19・2)。金持ちとイエスの出会いとしては、ルカ福音書の前章18章18-30節(並行箇所マタイ19・16-30;マルコ10・17-31)にある「金持ちの議員」との対話も参照してよいだろう。そこでは、金持ちの議員は「持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい」というイエスのことばに応えられず、「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか」と嘆かれることになる。このような背景から見ると、イエスが徴税人ザアカイを呼び、「あなたの家に泊まりたい」(ルカ19・5)と言うという展開は、レビ(マタイ)の召命にも匹敵する出来事である。
 きょうの箇所では、ザアカイは「背が低かった」(同19・3)という特色がクローズアップされている。そのために、彼は、「イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った」(同19・4)というのである。その行動力は鮮やかで、機敏である。この男の賢さが含蓄されていると思われる。だが、この賢さは、どのように評価されるべきものなのか……。
 彼の行動はイエスに見えたのか、あるいはイエスが彼の意気込みを気配で感じたのか――いずれにしても、ザアカイが登った木の場所に来たとき、イエスは見上げて「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」(5節)と呼びかける。まさしく召命の言葉である。すると、ザアカイは、そのとおり「急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた」(6節)。これは、召命の呼びかけに対する見事な応答である。そのうえ、ザアカイは、財産を貧しい人々に施し、だましとった金を償う決意を示す。すると、イエスから「今日、救いがこの家に訪れた」(9節)と告げられる。ちなみに、イエスの「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」(5節)と言う言葉は、直訳すると、「今日は、是が非でもあなたの家に泊まらなくてはならない」という意味といわれる(『聖書と典礼』の脚注参照)。「ぜひ」は、それが神の計画に従うことである、ということを示しているのである。
 ザアカイがイエスの招きが意味するものを瞬時に悟り、すべてを受けとめ、自らの行動への決意を告げる。 イエスは、それが神の救いの計画に適っていることを認め、それを「アブラハムの子」、すなわち信仰によって義とされた(創世記15・6参照)、イスラエルの民の一員として認める。ザアカイは、信仰の人、義の人と認められ、受け入れられていく。ザアカイが行動と言葉で示した果敢な信仰表明は、キリストに従おうとするすべての人にとって、生きたヒントとなって、福音書を通して、各時代の人々に影響を放っていったにちがいない。
 この絵の中のザアカイの上へ上へと向かう一途な姿勢は、そのような沈思に対して深く訴えてくるだろう。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

徴税人ザアカイ ルカ19章1-10節
 当時は徴税人も娼婦も罪びととして扱われ、また彼ら自身も神の義に反していることを認めていました。そのため、人々から相手にされない屈辱にも、寂しさにも耐えなければなりませんでした。それで、より暗い道をたどり、自暴自棄の生活へと追いたてられていったのです。そういう彼らをひと言で立ち上がらせ、人としての道を歩ませるイエス、それは彼の言葉の底に潜む、限りない「愛」のカによるものでした。

オリエンス宗教研究所 編『聖書入門──四福音書を読む』「第7講 イエスに出会った人々」本文より

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