| 2025年11月9日 ラテラノ教会の献堂 (白) |
わたしの父の家を商売の家としてはならない(ヨハネ2・16より)神殿を清めるイエス エル・グレコ画 ロンドン ナショナル・ギャラリー 1610-1614年頃 ラテラノ教会の献堂の祝日は、この教会がローマ司教区の司教座聖堂であり、ローマという首都、ひいては全世界に広がるローマ・カトリック教会の諸教会の母であるとの理解と敬意を示す。教皇クレメンス12世(在位1730-40)による「首都と全世界のあらゆる教会の母にして頭」というラテラノ教会の碑銘がその意味合いをよく示している。現代の典礼刷新以前、この日の朗読箇所は、使徒言行録 21章2-5節、ルカ福音書19章1-10節だったが、第二バチカン公会議後の現在の聖書朗読配分は、これに代わり、福音朗読箇所がヨハネ2章13-22節(いわゆるイエスの神殿清めの場面)、第一朗読箇所がエゼキエル47章1 ‐2,8-9,12節、第二朗読箇所が一コリント書3章9c-11,16 -17節であり、いずれも「神殿」が共通のキーワードとなっているところが興味深い。このイメージを介して、全体としてキリストと我々の関係が教えられ、「教会」の意味が深く照らし出される内容となっている。 表紙絵には、福音朗読箇所にちなみ、イエスの神殿清めの場面を描くエル・グレコの有名な作品が掲げられている。「ギリシア人」を意味する「エル・グレコ」の呼び名で知られるこの画家は当時ヴェネツィア共和国の支配下にあったクレタ島生まれのギリシア人(生没年1541-1614)で、本名はドメニコス・テオトコプーロス。1567年頃つまり26歳の頃、ヴェネツィアに渡り、画家修行をする。1570年にローマに移り、1576年にスペインに赴き、1577年からトレドに定住し、数々の名作を残した。そのグレコが生涯にわたって描き続けた画題の一つがこの「神殿を清めるイエス」であった。イタリア時代に2作、スペイン時代に4作があり、のべ40年以上もこの主題に取り組んだ。表紙に掲げられたものは最後期、グレコ晩年の作である。 グレコ独特の描写力で、イエスが「縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し」(ヨハネ2・15)た、という行為の激しさがよく示され、周りの人々の衝撃を受けた様子も生き生きと多彩に表現されている。画面(向かって)左側の手前には、その際に飛ばされた箱を持ち上げようとしている男が描かれているなど、きわめて演劇的、映画的な想像力も駆使されている。同じく左端には、右手を天に突き上げた女性とその手前に裸の幼児も描かれている。これは、あたかもイエスの行いを描く絵画でしばしば描かれる天使のような位置づけのものといわれる。それは、この出来事を通してイエスが訴えようとしている父である「あなたの家を思う熱意」(ヨハネ2・17)を映し出しているものと考えられるという。 注目すべきは、背景の祭壇の中央に置かれた金色のオベリスク(方尖塔)である。太陽の光を象徴するものとされるが、もちろん、ここでは聖櫃と合体しており、全体としてキリストを象徴していると考えられる。イエス自身の頭とも重なっており、その関係を考えていくことは適切だろう。この点は、福音朗読箇所の内容とも深くつながる。すなわちヨハネ福音書のこの話は、同じエピソードを記す他の福音書(マタイ21・12-13、マルコ11・15-17、ルカ19・45-46)より詳しく、特に「神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」(ヨハネ2・19)との予告をもって自分の死と復活を予告する内容を含んでいるからである。この絵の前景にあるイエスの行動や人々とのかかわりに対して、背後の建築空間は、どっしりと重々しく安定している。イエスが自らの行動、その帰結としての十字架を通して復活のいのち、いのちに至るというイエス自身の道行の到達点がすでにここに示されているのだろう。この神殿清めの歴史的舞台はエルサレムの神殿であるが、それを描き出すこの空間は、キリストの体(である教会)の象徴となっている。前景に描かれる人間世界の動揺に対して、それは超越した静謐を感じさせる。 ちなみに画面(向かって)左の中空の壇に一つの彫像が見える。古代ギリシア神話の神アポロンの彫像といわれる。そうだとすれば、ここにはいわゆる異教(古代諸宗教)とキリスト教の対比がこめられているかもしれない。またこの彫像の下にはアダムとエバの楽園追放の場面の浮き彫りが小さく見える。キリストを通じての神の招きは、全人類に及ぶ。究極には、そのような普遍的な救い主としてのキリストを仰ぎ思う扉のような画ともなっている。 |