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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2023年5月21日 主の昇天 A年 (白)  
天に上げられたイエスは、……同じ有様で、またおいでになる (使徒言行録1・11より)

主の昇天 
ノブゴロド派イコン
ロシア ノブゴロド国立美術史美術館 16世紀

 主の昇天の祭日である。この日のミサの聖書朗読配分の構成は面白い。主の昇天と呼ばれる出来事を詳しく述べるところを含む使徒言行録1章1-11節が毎年第1朗読で読まれる。福音朗読では、復活したイエスが最後に弟子たちに告げることばの部分が配分されている。A年では、マタイ28章16-20節、B年ではマルコ16章15-20節、C年ではルカ24章46-53節。このうち今年のマルコ、ルカには昇天への言及があるが、A年のマタイの箇所では直接、言及がない。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28・20)というイエスのことばでこの福音書全体が結ばれるのである。しかし、このことばは大変に暗示的である。いつもイエスを信じる我々とともに、イエスはおられる……このことがルカの語る昇天と聖霊降臨の真実であるといえるからである。いわば、イエスの誕生にあたり、その名を「インマヌエル」(神は我々と共におられる)という預言によって説き明かしたマタイらしい説き明かしである。このようにして、昇天のうちに、イエスがとこしえに我々と共におられる方となったという意味合いを描くのが、まさに昇天の図の役割でもある。
 主の昇天の図は実に多様である。マリアや弟子たちが画面の下に集まっているという構図はどれも大体に似ているが、イエス自身が自ら天に向かって山を昇っていくように描くもの、神の右の手が上から出ていてイエスを引き上げるというふうに描くもの、このイコンのように、イエスの全身が栄光の光背に包まれて天使たちによって天に上げられていくように描くもの、果ては、上を見上げる弟子たちの上にイエスの足だけを描くものなど。想像力の限りを使ってこの画題に向かっていった先人たちの工夫は多彩である。
 天と地の間に岩山の上の木々が描かれ、これによって、地上と天上の区分がなされている。同時に、これを結ぶ役割をしているのがイエスの派遣命令である。このイコンで、イエスはすでに天の玉座にいる主としての姿で描かれている。「天に昇り、父の右の座に着いて」(ニケア・コンスタンチノープル信条)がまとめて描かれている。天使たちの天に向かってぴんと張った翼や、その体や両足の描き方が、今まさに天に運び上げられている瞬間のスピード感さえ感じさせる。さらに、この二位の天使が、光背を両手で抱える姿は、玉座のキリストの前での恭順の姿勢にも見える。すでに天に昇られたイエスの権威ある姿は、きょうの福音朗読箇所マタイ28章16-20節が伝える主の姿でもある。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい……」(18-19節)。
 この命令のことばを受けとめつつ、天に昇るイエスを見上げる地上の弟子たちは、その神秘にそれぞれに驚嘆しているようである。このイコンに、11名の弟子が描かれている(マリアの両脇にいるのは別の二位の天使)のは、使徒言行録1章13節の叙述を踏まえている。そして、マリアが弟子たちの中心にいる。主の昇天の図の伝統的な構図である。もちろん、これは、昇天のあとエルサレムに戻ってきた使徒たちの集いの中に「イエスの母マリア」がいたことを記す使徒言行録1章14節が一つの典拠である。さらに、マリアが教会の母であり、その典型かつ模範(第2バチカン公会議『教会憲章』53参照)であるという伝統的理解とそれに基づくマリア崇敬の影響を見ることができる。
 マリアの姿を鮮やかに浮き立たせるように、真っ白い衣の二天使が描かれているが、弟子たちの群れの後方から、弟子たちに「なぜ、天を見上げて立っているのか」と問いかけると同時に、「イエスは……またおいでになる」と、その再臨を確約している(使徒言行録1・11参照)。さらには、天使の姿は「さあ」と手を挙げて、イエスによって与えられた使命に向かって、弟子たちが動き出すように促しているようでもある。
 このように見ていくと、この昇天のイコンが聖書にとどめられた一時の出来事を描くのではなく、教会の本質的な姿を写し出しているものであることがわかる。そこには、キリストと我々、教会との関係が刻み込まれ、ミサの中で絶えず新たにされるキリストと教会との関係、信者一人ひとりとの関係が描かれている。「行きましょう、主の平和のうちに」「神に感謝」というミサの結びの対話句は、いつも、キリストの「行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28・19)という派遣のことばに対する応答である。
 ここには、萌芽的ではあるが、感謝の祭儀(ミサ)の中でつねに具現される、天上の教会と地上の教会のキリストによる一致を思うことができる。新約聖書そして教会の伝統全体が証言するキリストと、天上をも地上をも含む教会共同体との関係が展望されるのである。それは、きょうの第二朗読である、エフェソ1章17-23節も雄弁に語っている。「教会は、キリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です」(23節)というその一節は、昇天から聖霊降臨へと至る神秘をよく説き明かしている。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(A年)●典礼暦に沿って』「主の昇天」

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