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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2026年2月1日 年間第4主日 A年 (緑)
心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである(マタイ5・3より)

キリスト モザイク 
「デイシス」の部分 
イスタンブール ハギア・ソフィア大聖堂 1260年頃

 現在のトルコ共和国の首都イスタンブール、かつてのビザンティン帝国の首都コンスタンチノープルのハギア・ソフィア大聖堂のモザイクである。全体として「デイシス」という画題のタイプのものの中央のキリスト像がクローズアップされている。「デイシス」とは、審判者である救い主キリストに対して、(向かって)左から聖母マリアが、(向かって)右から洗礼者ヨハネが人類の救いのためのとりなしを祈るところを描く図である。最後の審判の意味をこの三者に象徴させて簡潔に表現する図と解されている。ハギア・ソフィア大聖堂のデイシスは、マリアの姿が相当部分、洗礼者ヨハネとキリストも下のほうが失われているが、ここに見えるキリストの姿は、威厳とともに深い慈悲を印象づける。その祝福のしぐさには荘厳な力が備わり、鑑賞者の心に強く迫ってくる。このキリスト像を「幸いである」と力強く告げるきょうの福音朗読におけるイエスの姿と重ね合わせて味わうことにしたい。
 きょうの福音朗読箇所マタイ5章1-12a節は、有名な山上の説教、八つの「幸い」についての教えがある。この教えのことを「真福八端」(しんぷくはったん)という四字熟語で表現することが多い(真の幸福の八つの端緒という意味だろう)。「幸いである」と語る教えは、ルカ6章20-26節にもあり、そこでは、イエスが平らな所で多くの人々が来ている中、弟子たちに語った教えとなっている。しかも四つの幸いと四つの不幸についての教えである。これに対して、マタイによるこの八つの「幸い」のほうがよく知られており、教会の聖歌でも『カトリック聖歌集』605「さいわいなるかな 真福八端」、『典礼聖歌』398「その人は幸い」があり、それぞれに、この教えの情調と力強さを表現していて味わい深い。
 このイエスの教えの中で、さまざまな人々が呼びかけられている。「心の貧しい人々」(マタイ5・3)、「悲しむ人々」(4節)、「柔和な人々」(5節)、「義に飢え渇く人々」(6節)、「憐れみ深い人々」(7節)、「心の清い人々」(8節)、「平和を実現する人々」(9節)、「義のために迫害される人々」(10節)。これらを聞いて我々は、イエスのいたその当時の人々のことを考えるよりも、まず、今の世の中の人々のこと、そして自分自身のほうに目を向けさせられ、ここで「幸い」と語られている存在であると感じてしまうことだろう。世の中にあって、力ももたず富ももたず、または自由も権利も制限され、抑圧され、虐げられていること、あるいは大切な人やもの、または自分の拠り所をも喪失し、息を潜め、声も出せずにいる人々のことが生き生きと思い浮かべさせられる。そのようなすべての人のあらゆる状況の中に、神は必ず眼差しを注いでいる。それは、いつくしみに満ちたものである。それゆえの「幸いである」というイエスの宣言であり、神の国の約束である。
 もちろん「心の貧しい人々」という語句は難しく、直訳では「霊において貧しい人々」と言うらしい。ルカでは、端的に「貧しい人々」(ルカ6・20)と呼ばれる。マタイにおける「心の貧しい人々」については訳語も解釈もさまざまにあるが、簡単に説き尽くせないのだろう。「心」や「貧しさ」について考えさせる表現であることも踏まえて受けとめ、黙想することが重要である。
 イエスが教えるこの幸い、これは、マタイの言う「天の国」すなわち神の国、端的にいえば、神のもとで神とともに生きる喜びそのものである。このような「幸い」を約束することばは、旧約における神についての教え、そして神の民の信仰に深く根ざしている。そのことが、きょうの第一朗読箇所ゼファニヤ書2章3節、3章12-13節からも感じ取ることができる。主である神は、苦しみに耐えてきた民に対する守り、救い、養い、憩いを約束する。この箇所の中で、「苦しみに耐え」という表現は、「貧しい」とか「へりくだる、柔和な」とも訳すことのできるヘブライ語であるという(『聖書と典礼』当日版の脚注参照)。これは、まさしく、山上の説教における「心の貧しい人々」「柔和な人々」といったことばと重なってくる。また、答唱詩編で歌われる詩編146(1-2,6-10から構成)も、貧しい人を救う神を賛美する詩句が選ばれている。そこで、「飢えかわく人」「捕らわれびと」、「見えない人」「身寄りのない子どもとやもめ」のことが顧みられる、この人々のために裁き、いつくしみをもって治められる神がたたえられる。まさしく、これはまさしく神の国の姿である。
 「幸いである」という宣言の中に、神の臨在の実感がみなぎっている。このことばととともにイエス自身も我々の中にいる。このことが最大の慰めであり、限りない励まし、イエスのために生きること、より積極的に神の国のために生きることが呼びかけられているのであり、回心と具体的な行動を呼び起こす派遣のことばともなっているのである。表紙絵のイエス・キリストの静かな力強さのうちに、こられのメッセージのすべてを味わいたい。
 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(A年)●典礼暦に沿って』年間第四主日

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